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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第137回

ニッケイ新聞 2013年8月14日

 日本から運ばれたきたものを自分たちで使うのではなく、文子は売って生きながらえようと考えていた。
 午前八時になると、車で案内員が迎えに来た。見たこともない車はソ連製のジープを真似て造った共和国製の「更生六八型」という車だった。
 仁貞の滞在期間は二週間だったが、会えたのはその一晩だけだった。
「亭主と文子が生きていくには、こちらから金を送らなければ、いずれは飢え死にだ」
 仁貞が半ばあきらめた様子で言った。

 金子幸代は早稲田大学の教壇に立つことは二度とないと覚悟した。北朝鮮の二人の生命は幸代の収入にかかっていると言っても過言ではなかった。
 幸代はブラジルに渡った児玉正太郎を思い出した。彼のように自由に生きる国を選ぶことができればどんなに幸福かと思った。
 金寿吉と姉の文子は、北朝鮮に囚われた人質のようなものだった。これから「身代金」を払い続けなければならないかと思うと、絶望的な気分になった。
 やり場のない不安と焦燥に、幸代は児玉に手紙を書いた。
「児玉君、そちらの生活はいかがですか。学生時代から韓国を飛び回っていたあなたのことだから、ブラジル各地を取材に回っているのでしょうね。
 あなたには帰化した経緯をお話ししたと思いますが、どんなことをしても家族が北朝鮮に帰還している現実、私自身にも朝鮮民族の血が流れている事実からは逃れることはできません。
 共和国に帰還した兄は、強制収容所で非業の死を遂げていました。東大の医学部で学び、医学で共和国の再建に貢献したいと期待に胸を膨らませて帰還したのに、医師になる夢はかなえられませんでした。農業に従事することを強いられ、最後は強制収容所に入れられ、父の元に戻された遺体は、栄養失調状態で、しかも体中に拷問の痕が残されていたそうです。
 先日、共和国を訪れ、家族と再会した母によれば、父も姉も極貧の生活に喘いでいるようです。総連が当時さかんに宣伝していた〈地上の楽園〉は、朝鮮戦争で荒廃した国土を再建するための労働力ほしさに行なった誇大宣伝でしかなかったようです。
 現実を知った母は、日本に残り、差別され、貧しい暮らしをしていた方がずっとましだったと寝込んでしまいました。
 二人を連れ戻すことはまったく不可能。日本に残る帰還者の家族は皆同じ悩みを抱えています。家族を労働力として利用されたあげくに、今度は家族を人質に取られ、身代金を要求されているからです。〈成分が悪い〉と差別され、彼らが生きていくためには、日本に残る家族が経済的支援を行なわなければなりません。
 早稲田大学の教壇に立ち、東洋史を教えたいと考えていましたが、そうしている余裕は私にはありません。春からは予備校で日本史を教えます。大学講師の給料では共和国に帰還した家族への経済的支援は無理です。
 何もかも捨てて、ブラジル移住し、自由に生きることができればどれだけ幸福かと思います。しかし、年老いた母、それに共和国で苦境に喘ぐ父と姉を見捨てるわけにはいきません。
 どうしたら国家という壁を人間は乗り越えられるのでしょうか。
 どうしたら差別などしないで、日本人と朝鮮人がともに暮らせるのか。
 児玉君が言った言葉を今思い出しています。
〈砂漠に生まれた民が生涯水に飢えて暮らさなければならないなんておかしいだろう。国境がそびえ立つから人間の自由が奪われるんだ〉
 日本海にはとてつもない国境があり、父も姉も日本に戻ることは不可能です。こちらから水を供給してやるしか方法がありません。
 国境を越えるというのは、どういうことなのか。それをブラジルで追い求めているあなたがうらやましい。
 元気で、いつか日本に戻ってきてくださいね」(つづく)


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