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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(67)

ニッケイ新聞 2013年8月16日

 臭う群集心理 
 
 地方での次の事件は、4月17日、マリリア市で同時に起きた2件の襲撃である。
 内、1件の被害者は──本稿で既に登場の──同市の認識運動の中心人物、三浦勇であった。
 その日、事務所で執務中、訪れた一人の若い男に撃たれ、腰部に重傷を負った。男は外に出たところを、追いかけた三浦の息子や住民(非日系)に取り押さえられた。無抵抗であったという。中村秋水という変わった名の持ち主であった。
 同時刻、認識派の林久道が仕事場で、やはり訪問者に、胸部を撃たれ重傷を負った。居合わせた客一人が巻添えで、肩に銃弾を受けた。
 撃ったのは福間正。これも、現場近くで捕えられた。
 このマリリアで認識運動を推進していた西川武夫(前出)は、その手記に「自分も標的となっていたが、当日、旅行中であったため難を免れた」という意味のことを書き留めている。
 襲撃者側には、もう一人仲間がいて標的を探していたが、未遂に終わった。
 彼らは皆、地元の人間ではなかった。中村はバウルーから、他の二人はノロエステ線方面から、来ていた。
 
 4月30日、再びバストスで、認識派7人の自宅に小箱に入った爆発物が送りつけられるという騒ぎがあった。
 送り主は不明。非日系の子供が、誰かから頼まれた……と言って届けた。
 箱を開けると、破裂する仕掛けになっていた。が、小さな破裂で、軽傷で済んだ。開けなかった人もいた。
 同じ4月30日、奥ソロカバナ線プレジデンテ・プルデンテで、郊外の植民地に住む続木栄吉が、朝、町へ行く途中、銃撃され負傷した。
 続木は、認識派ではあったが、同市に於けるその中心人物というわけではなかった。ただ終戦時、東京ラジオを聴いており、日本は負けたと人に話していた。
 襲撃者は5人で、覆面をしていた。弾は続木の左胸に当たったが、内ポケットに厚手の手帳か何かを入れていたため、心臓に届かず助かった。
 
 以上、時期、内容から見て、四月一日事件に刺激された連中が起こした真似事、群集心理による跳ね上がり……の臭いがする。
 中村秋水は、後年、ほかに関与した事件も含め、自分を劇中の人物の様に語っており、それが資料類の中で記事になっている。が、その割には、話の内容が曖昧である。
 バストスの一件も爆発物といっても玩具のようなモノであり、プレジデンテ・プルデンテの一件は、顔を隠していたとか、5人がかりで襲いながら仕留めることもできなかったとか……いずれも素人臭い。
 
ビリグイ方面 
 
 5月は、事件は無く、6月はサンパウロで脇山大佐が襲撃されているが、地方では何も起こっていない。
 そして、7月。
 ノロエステ線のほぼ中央部ビリグイ方面で、突如、立て続けに事件が発生した。
 10日、ビリグイの南方の町ブラウーナ。認識派の八木武人宅で銃声が響いた。
 当時、その近くの栄拓植民地に住んで居た鳴海忠雄(後にサンパウロ新聞営業部勤務)は、こう語る。
「不審な人物が二人来て、八木さんの息子と格闘か何かをした……ということだった。八木さんは認識運動の指導者だった。農産物の仲買商をしていた。ほかに、大きな農場にコロノ(雇用農)を何十家族か入れて営農していた。
 人の恨みを買うというタイプではなかったから、怨恨の線はなかろう。襲撃の動機は勝ち負け(認識)問題だろう」
 既出の『北西』1946年7月17日付けにも、この事件の記事がある。以下、その要旨。
「7月10日午後4時、ブラウーナの仲買商八木氏宅に、3人の青年が来て、同氏の長男と争いとなった。
 (3人の内の)入谷が長男を撃った。が、当らず、長男が入谷の首をつかまえて、コジーニャ(台所)の方へ押し放った。長男は自分の拳銃で、入谷の頭部を撃ち、外に出て家族に急を告げた。背後から3発撃たれたが、奇跡的に外れた。
 入谷は血まみれになって逃走した」
 同日、栄拓植民地の認識派の安倍、渡辺の両家宅へも、不審人物が接近した。が、すでに八木方から連絡が入っており、警戒していたため、無事だった。(つづく)