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母県議会が交流推進を確認=沖縄県人移住105年を祝う=県会議長ら10人が出席

ニッケイ新聞 2013年8月17日

 ブラジル沖縄県人会(田場ジョルジ会長)は9日、県人移住105周年を祝う記念式典を同会館で開催した。母県議会から、喜納昌春(議長)、糸洲朝則、中川京貴、翁長政俊、照屋大河、玉城満、西銘純恵、渡久地修の各議員、議会事務局の嘉陽安昭局長、稲嶺幸一郎総務課主査の計10人が慶祝団として来伯し、来場した約350人の会員及び日系団体関係者らとともに節目の年を祝った。

 1908年の笠戸丸(県人325人)に始まり、戦前戦後を通して計2万人以上が海を渡った。県人会活動も活発に行われ、現在全伯44支部計約2千人の会員を有する。
 安部順二、飯星ワルテル、西本エリオ、大田慶子各氏など多くの日系議員のほか、福嶌教輝在聖総領事や日系団体の代表者らも顔を揃えた。
 挨拶に立った田場会長は来賓各位に感謝の言葉を述べ、喜納議長も「今後とも相互の交流を深め、若い世代がウチナーンチュのアイデンティティーを継承していくことを期待している。議会も国際交流の推進に最大限の努力をしたい」と祝辞を述べた。
 福嶌総領事も「沖縄移民の歴史はまさに日系移民の歴史と重なる。沖縄からの来賓に加え、当地の日系議員らが数多く出席していることがその証明」と讃えた。
 議員団には、サンパウロ州議会と県人会からそれぞれプラッカと記念品が贈呈された。また、金城徹さん(91、国頭村)に、田場会長から感謝状が贈られた。サンパウロ州ジアデマ市の沖縄文化センターの土地を提供し、1963年から50年間に渡って定期総会に欠かさず出席するなど会に貢献してきたことが評価された。
 金城さんは「座右の銘は率先垂範。『世間を喜ばせることが自分の喜びになる』という親の教えで頑張ってきた。認めてもらえることはやはり嬉しい」と笑顔で語った。
 式典後の会食の最後には、参加者全員でカチャーシーを踊り、大団円のなか幕を閉じた。
 初来伯の渡久地議員は、『沖縄県史』の移民の項のコピーを手に「これで勉強はしてきたけれど、これほどのものとは。しっかりと文化が根付いているのを感じる」と舌を巻いていた。玉城議員も「初めて来た気がしない。これまでの交流の意味を実感できた」と感慨深げに語っていた。