ニッケイ新聞 2013年8月21日
サンパウロ市北部ピリトゥーバ出身のレオナルド・ファブリシオ・ジニスさん(32)と、リオ・グランデ・ド・スル州サンタローザ出身のタニラ・ラムスさん(28)の共通の夢は、医者になることだった。
実家は決して裕福ではなく、国内の私立大の医学部に進学する経済力がなかった2人は、医学部で学ぶという目標を携えて渡った隣国アルゼンチンで出会い、大学を卒業し、一女をもうけた。
帰国したのは今年の4月。「マイス・メジコス」の第一次採用者1618人の医師のリストに、揃って名前を連ねている。「マイス・メジコス」は6月の〃抗議の波〃を受けて連邦政府が打ち出した政策で、医療インフラや医師不足が顕著な地域に医師を派遣するというプログラムだ。
アルゼンチンにいた8年間、「よそ者」だと感じることがストレスだった。家族や友人と離れ、スペイン語は100%理解できるわけではない。「外国人であるという理由ですごく偏見を感じたわ」(タニア)。
家族が恋しい、ブラジルに帰っても医師として働けるのかどうかわからないという不安感から、多くの同胞が途中で挫折し、帰国していくのを目にしてきた。
ただ、両親が送ってくれる月に1800レアル(約7万2千円)で、学費のほか家賃、交通費、食費など全ての生活費を賄えたのは助かった。「ブラジルだと、どんな大学でも医学部だったら毎月の月謝は5千レアル(約20万円)ですまないからね」。レオナルドさんは、ブラジルでもアルゼンチンでも、私立大学の医学部の質は変わらないと考えている。
2人は首都ブエノスアイレスの大学の医学部で6年間学び、1年の研修を経て念願のディプロマを手に入れたが、もう1年滞在し、地方で医師として働いた。「ブラジルの貧困地域と同様に、医療機器が足りず、検査もろくにできないような状況だった」という。
そうして帰国したのが今年4月。苦労して取得した卒業証書を手にしていながら、医師として就職できないという現実に直面した。
2人は、国外で取得した卒業証書が、ブラジルでのものと同等だと承認する試験(Revalida)の申し込みをした。「問題は、もし合格しなければ来年にしか受けられないこと。また1年、仕事がない状態になる」とレオナルドさんは不安を隠せない。貯金が底をついた今、2人は再び両親から支援を受けている。
Revalidaを受けていない外国人、外国で医学部を卒業した人でも受け入れるこの「マイス・メジコス」は、2人にとっていち早くブラジルの医療施設で働く手段であり、月に1万レアル(約40万円)の給与も魅力だ。政策を実施する保健省によれば、1618人の合格者のうち、164人は2人のように外国で医学を修めたブラジル人だ。
6カ所まで選べる勤務希望地の第一希望は、居住環境のあるサンパウロ。だが、どの地区に派遣されるかはまだわからない。タニラさんは「私たちのような人間にも門戸を開いてくれる機会に恵まれた」と嬉しそうに話す。
リスボンに住むモザンビーク人女性マリア・ダ・コンセイソン・ペレイラさん(65)は、プログラムの外国人合格者358人の一人だ。
ポルトガルで年金生活を送っていた彼女は来月から、北部セアラ州イタピポカ(州都フォルタレーザから116キロ)で、医師として働く。
国外で働くのは初めてではない。既に、公用語がポルトガル語の東ティモール、インドネシアでの経験があり、ブラジルでの仕事に不安はないという。プログラムへの批判の一つだった「外国人に、貧困地域のブラジル人の患者を理解できるのか」との声には、「田舎の人は皆親しみやすい。訛りも身についちゃうの」と笑う。
「ブラジル人医師の雇用機会を奪う」との批判には、「ブラジル人が優先された。だから私は誰の雇用機会も奪ってないし、それに関しては何のプレッシャーもないわ」と説明する。
ポルトガルで受け取っている年金2千ユーロに加え、毎月1万レアルの給与。その上住宅や食事への補助もある。「ブラジルでは生活費が上がっている」というニュースを聞いても、これだけの収入があれば心配ない。
プロジェクトがうまくいけば、今後は国外からの応募者も増えるとみている。「同僚から、このプログラムでの仕事がどんな感じになるか、教えてと言われているの」。
第一次合格者が働き始めるのは、来月から。3週間の研修を受け、実地での勤務がスタートとなる。(16日付フォーリャ・デ・サンパウロ紙より)