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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(72)  

 

ニッケイ新聞 2013年8月23日

 

 続・パウリスタ延長線方面

 8月10日、パウリスタ延長線マリリアで、また事件が起きた。
 認識派の時計商、平田良博が射殺された。戦時中のサントス追立ての被害者で、マリリアに辿りついて、この仕事を始めていた。
 襲撃者は直後に捕らえられた。戦勝派の伊藤健一で、ノロエステ線ピラジュイから来ていた。
 伊藤は、初め、ノロエステ線カフェランヂアの及川義夫(前出)から猿橋俊雄という同志を紹介され、2人で同地の認識派の有力者を狙った。 が、機会がなく、その南方50キロ地点、パウリスタ延長線ガルサに、標的を求めて向かった。が、ここも警戒が厳重であったため、マリリアに移動した。
 殺された平田は、認識派ではあったが、別段、活動家だったわけではない。
 西川武夫のメモには「襲撃者の自供では、第一目標は自分だった」とある。西川は、この時も、旅行中であった。二度に渡って、不在であったため、命拾いしたことになる。
 「伊藤は、平田が目的遂行に比較的容易な状態だったので、狙った、と自供した」と十年史にはある。
 西川の代理被害者であったことになる。
 なお、十年史によれば、ガルサでは、認識派の田巻要という人物が警察署長と相談、旅行者の臨検を始めていた。これに協力する者が多く、市中の警戒は厳重だった。
 西川メモによれば、ガルサでは、すでに認識派が穏健な手段を捨てて、戦勝派に対し敗戦派への転向を強要、時には「汝らに特攻隊あれば,我らにも特攻隊(自警団のこと)あり」と威嚇していた。
 マリリアでは4日後の14日、三浦トオル銃撃事件が発生、三浦が負傷した。襲撃者は前記の猿橋俊雄であった。
 三浦トオルがどういう人物であったかについては資料を欠く。
 8月16日、パウリスタ延長線ツッパンで、戦勝派の過激分子3人の認識派3人に対する一人一殺方式の襲撃事件が発生した。
 加藤幸平が岡崎司三の事務所に乱入、射殺した。
 平間俊男が、新田健次郎を狙って、その写真館に向かったが、当人が不在だったので同館の分店へ行き、弟の新田実を射殺。
 宮原昇が大原守郎を銃撃。大原重傷。
 岡崎は、既述の2月のパ延長線認識派の集会へ出席していた人物で、3月の会合では「斃レルマデヤル。最后ノ覚悟ダ」という言葉を発している。
 新田健次郎も同会議へ出席していた。弟の実は、その代理被害者となった。
 大原守郎は(マリリアの西川武夫が経営する)カーザ・オノ西川のツッパン支店の店長であった。
 この他、彼らの仲間二人による襲撃が2カ所で図られたが、未遂に終わっている。
 襲撃者たちは、自首したり、警戒中の軍隊や警察に取り押さえられたりした。
 この事件の折は、事前に、終戦一周年を期して過激分子が何らかの行動に出るのではないか……という噂が流れていた。ために、ツッパン警察は厳戒態勢を敷き、軍隊とも連絡をとっていた。事件発生と同時に、一個中隊が出動した。さらに要注意人物80人の身柄を拘束した。
 厳戒態勢は数日続いた。
 加藤幸平は、3カ月前、四月一日事件の報を受けた時「遅れをとった!」と無念がったという。
 このトッパンの事件は、地方で起きた襲撃事件の中では、最も派手なケースで、特に加藤の名は広く知れ渡った。
 なお、ツッパンで、これに先立つ8月10日、敗戦派の渡辺某が狙撃され負傷、と記す資料もあるが、詳細は不明である。(つづく)