ニッケイ新聞 2013年8月31日
ブラジルの政治について知ろうとする際、最も難しいことのひとつに、「歴史理解の欠如」があげられる。「今の大統領や知事の名前は知っていても…」と尻込みしてしまう、ブラジル在住の日本人、もしくはブラジルに興味のある日本人も少なくないだろう。だが、現在の政治の流れは、この30年の歩みを押さえていれば大筋を把握することは不可能ではない。今回からのシリーズでは、軍政終了時点から現在に至るまでの歴史を見ていくことで、現在の政治の基本要素をあぶり出していく。
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1985年1月の大統領選で、反軍政派の候補が軍政側の政党の候補に勝利したことにより、ブラジルでは1964年から21年続いた軍事政権に幕を閉じることとなった。
この反軍政派の勝利には伏線があった。1970年代後半から国民の軍への不満が募りだし、83年には民衆のあいだで大統領をはじめとした政府要職を国民の直接投票で決めることを求める「ジレッタス・ジャー」運動が盛んとなった。
軍政側の政党である社会民主党(PDS)が大勢を占めた議会では、結局、直接選挙を否決し、85年の大統領選も、軍政開始以降恒例となっていた、議会投票で決める方式に従うこととなった。だが、この時点で、社会の流れが止められないことは、もう明らかとなっていた。
大統領選では2人の候補が争った。PDSからの候補は、70年代にサンパウロ市長と知事を歴任したパウロ・マルフ氏。野党連合側の候補は、ミナス・ジェライス州の知事をつとめる民主運動党(PMDB)のタンクレード・ネーヴェス氏だった。
ブラジルでは1980年に多党制に戻ってはいたが、64年の軍政施行後、政党は軍政党の国家革新同盟(ARENA、PDSの前身)以外の政党は解党させられ、野党はブラジル民主運動(MDB、PMDBの前身)の一政党のみにさせられていたことから、実際にはPDS対PMDBによる対決だった。