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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第150回

ニッケイ新聞 2013年8月31日

 ブラジルの風土がそうさせるのだという。長い間農業に携わってきた野村は、農民らしい説明をした。日本のトウモロコシは甘くて粒も揃っている。やわらかくて茹でて食べることができる。その種を日本から輸入して、ブラジルに播いても粒は不揃いで、しかも実も固いものになってしまう。
「日本のトウモロコシとは全く別物が育ってしまう。そうかと思うと柿は、日本よりもおいしいものが実る。柿はカキで、日本語がポルトガル語として使われている。日本と同じものをブラジルで求めるのはどだい無理なことだ」

 児玉が三世と付き合っていることが社内の連中に知れ渡ると、二世、三世の記者は遅配している給料をもらおうと螺旋階段で一緒に並んでいる児玉に話しかけてきた。
「ナモラーダができたんだってな。日本のサムライもやるもんだ」
 言葉はかなり話せるようになっていたと思ったが、彼らからすれば児玉の語学力は小学生程度に映るらしい。そのポルトガル語でよく恋人を見つけたものだという冷やかしも半分含まれていた。
「ポルトガル語編集部の幼稚園児程度の日本語能力より、はるかに上の女性と出会えただけさ」
 児玉も彼らに冗談で切り返した。しかし、ほとんどの二世、三世は児玉が恋人を見つけたことを喜び祝福していた。まったく異なる反応を示したのは一世だけの日本語編集部スタッフだった。
 児玉が三世と付き合っていることが前山主幹の耳にも届いた。前山は児玉をサンパウロに呼び寄せるためにわざわざ東京まできて、ブラジル領事館の査証担当の領事と直接交渉し、児玉に査証を発給するように要請した。この交渉が功を奏して児玉には永住査証が交付されたのだ。
 前山主幹は児玉の両親も心配しているだろうと、児玉の両親にも会い、パウリスタ新聞の現状を説明し、責任を持って預かると言ってくれた。ブラジルでの身元引受人でもあった。
 いつものように仕事を切り上げて帰宅しようとしていると、前山に声をかけられた。
「話があるから会議室で待っていなさい」
 児玉は会議室で前山を待った。
 前山は、戦前両親に連れられて北海道から小学校六年生の時に移住していた。ブラジルに来てからポルトガル語を学び、サンパウロの大学を卒業していた。日本語もポルトガル語も堪能な数少ない一世移民の一人だった。ポルトガル語欄編集部のスタッフに日本語欄の記事を説明する時の前山の語学力は、二世のようにしかみえなかった。二世の女性と結婚し、家庭の中はすべてポルトガル語だと聞いていた。
 日本に原稿を送っていることが編集部上層部に知られたのかもしれない。何を言われるのか気を揉んで待っていると、前山は編集会議の時は、応接室の窓側を背に一人用のソファに腰を深々と沈めるが、その時は児玉の正面のソファに足を組んで座った。
 ライターでタバコに火を点けながら言った。
「君、三世と付き合っているというのはホントか」
「はい」
「一緒に住んでいるというのもホントか」
 児玉はこくりと頷いた。
「まさか結婚する気ではないだろうな」前山はタバコを深く吸い込んだ。
「結婚するつもりでいます」
「止めろ」
 児玉は何も答えを返さなかった。上司に別れるように言われたからといって、「はい、そうですか」とマリーナと別れられるはずがない。
「金の用意は俺がする」
 児玉には前山の言っている意味が理解できなかった。怪訝な顔をしていると前山は苛立ったように煙を吐き出すと続けた。
「手切れ金を用意すると言っているんだ」
 児玉は席を立とうとした。児玉がまるで性悪女に引っかかっているような口ぶりだ。
「いいから俺の言うことを聞け」
 児玉はソファに座り直した。(つづく)


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