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ブラジル政治の基礎歴史=(2)=サンパウロ州の大物マルフの敗退=サルネイの反発で形勢不利に

ニッケイ新聞 2013年9月3日

 1985年の大統領選挙は1月15日に議会の議員投票によって行われ、タンクレード・ネーヴェス氏(民主運動党・PMDB)がパウロ・マルフ候補(社会民主党・PDS=軍政擁護政党ARENAの後進)を破って勝利した。得票の内訳はタンクレード氏が480票、マルフ氏が180票で、タンクレード氏の圧勝となった。
 民政移管を求める時代の気運が、軍政派を退けるこの結果を招いた部分が大きくはあった。それに加え、マルフ氏の擁立をめぐって起きたPDSの内紛も響いようだ。
 マルフ氏は次期大統領を目指し党内でも積極的な運動を行っていたが、PDS党首のジョゼ・サルネイはそのことに難色を示していた。70年代末以降、軍政自体も民主化の方向に動いてはいたが、マルフ氏では民主化路線以前の色が強すぎると読んだのだ。
 だが、そのサルネイ氏の意図に反して、当時のジョアン・フィゲイレド大統領は、マルフ氏をPDSの次期大統領候補として推すことを決めてしまった。これを不満としたサルネイ氏は、バイア州元知事の大物政治家アントニオ・カルロス・マガリャンエスなどの同党有力者と共に離党し、新党を結成する。
 その新党が、これまで政敵だったPMDBに接近し、タンクレード氏と共に民主化を目指した新政権を作ることで合意した。その結果、サルネイ氏がタンクレード氏の副大統領として立候補することとなった。タンクレード/サルネイ体制の成立は、PDSの反マルフ派をネーヴェス側に取り込む要因にもなった。
 タンクレード氏の当選後、サルネイ氏の新政党は自由戦線党(PFL)となり、これ以降、議会内で上位を占める党となった。ただしサルネイ氏は結党直後に離脱、PMDBに転籍している。
 だが、2007年に民主党(DEM)と改名した同党は2011年、同党出身のサンパウロ市長(2006〜12年)、ジルベルト・カサビ氏の結党した民主社会党(PSD)の離脱により、支持基盤を弱めた。
 一方、敗れたマルフ氏のPDSは党内分裂を繰り返し、現在は進歩党(PP)として議会内5位あたりを争う党となる。ただし、マルフ氏は1985年の後もサンパウロ市長に返り咲いた(1993〜96年)のをはじめ、サンパウロ市、州で影響力を持ちつづけ、2008年のサンパウロ市長選まで市長選、知事選に立候補しつづけた。
 しかし、政治的影響力の衰えゆえか、汚職問題が次々に槍玉に挙げられるようになり、現在では連邦議員は続けているが、国際刑事警察機構(インターポール)から指名手配されるまでになった。