ニッケイ新聞 2013年9月4日
1985年1月の選挙で当選し、軍事政権に終止符を打ったタンクレード・ネーヴェス氏は、当時すでに74歳の高齢だった。
彼は軍事クーデターが起きる1964年以前から大臣職を歴任していた重鎮だった。1950年代にはジェトゥリオ・ヴァルガス政権の内務相をつとめ、軍政前最後の民主政権であるジョアン・グーラール政権では経済相をつとめていた。
所属政党が軍政支持に転じた旧・民主社会党(PSD、現在の同名政党とは無関係)であったため、政治活動の停止や要職を追われるという迫害には直面しなかったものの、軍政に強く反発。軍政を体制翼賛的に支えた国家革新同盟(ARENA)には入党せず、唯一の野党として65年に結党が許されたブラジル民主運動(MDB)に入って政治活動を続け、グラール政権で開発相をつとめたウリセス・ギマリャンエス氏(74年の大統領選に立候補)らと共にMDBを支えた。
20年の恨みを晴らす形で大統領に当選したタンクレード氏だったが、思わぬ悲劇が待っていた。大統領就任予定日の前日の3月14日、タンクレード氏は教会のミサで倒れた。かねてから患っていた消化器官の疾病によるものだったというが…。翌日の就任式は行われず、国民全体が容態を見守ったが4月21日に帰らぬ人となってしまった。
結局、タンクレード氏は正式には大統領に就任したことにはなっておらず、公式には大統領として数えられていない。だが、多くのブラジル人の意識の中では「歴代大統領の一人」として認知されている。タンクレード氏の死去に伴い、大統領の座には、同氏の病気療養中に副大統領に就き、大統領代行として職務についていたジョゼ・サルネイ氏が昇格就任した。
なお、タンクレード氏の孫にあたる前ミナス・ジェライス州知事のアエシオ・ネーヴェス氏(ブラジル民主社会党・PSDB)は14年大統領選挙の候補として有力視されている。
また、アエシオ氏の友人で、同じく14年大統領選への立候補が噂されているエドゥアルド・カンポス氏(ブラジル社会党・PSB)も、軍政時代にペルナンブーコ州知事を追われ、アルジェリアに亡命を果たし、民政復帰後に同職に返り咲いた「反骨の政治家」ミゲル・アラエス氏を祖父に持つ。