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ブラジル政治の基礎歴史=(4)=インフレ悪化のサルネイ政権=裏切られた民政復帰への期待

ニッケイ新聞 2013年9月5日

 1985年4月21日のタンクレード・ネーヴェス氏の逝去を持って、ブラジル第31代大統領の座は副大統領だったジョゼ・サルネイ氏に渡った。
 これは憲法の定める通りで、司法判断も「問題なし」との判断を出した継承だった。だが、与党となる民主運動党(PMDB)の意見は割れた。もうこの時点では、PMDBへの移籍を果たしていたサルネイ氏だったが、もとは軍政支持の社会民主党(PDS)の党首、いわば「外様」だったからだ。それゆえ、党の中には、同党の功労者であるウリセス・ギマリャンエス氏をタンクレード氏の後任として推す声も上がっていた。
 民政復帰の最初の政権は、そんな波乱含みで幕を開けた。国民の関心は前任のフィゲイレド政権から続く、インフレの抑制だった。サルネイ大統領は86年2月に「クルザード・プラン」を発表し、クルゼイロに代る新通貨クルザードを発表し、賃金や物価を凍結するなどの経済対策を行ったが、インフレはさらに悪化した。87年には諸外国に対し債務不払い宣言を行い、88年には年1000%のハイパー・インフレを記録した。
 サルネイ大統領は経済政策を計4度打ち出したが、インフレの悪化を止められず、民政復帰に対する国民の期待を大きく裏切る結果となった。
 経済が混乱したサルネイ政権下で1988年10月、ブラジル新憲法が公布された。これにより、大統領が国民投票により選出されることも法制化されたが、サルネイ氏は89年12月の大統領選には出馬しなかった。
 サルネイ氏はその後も政界にとどまり、PMDBの重鎮政治家として活動、2000年代以降に2度も上院議長をつとめ、2013年現在、80歳を超える高齢ながら現役政治家として活動中だ。
 サルネイ氏は北部マラニョン州ではきわめて大きな影響力を持つ政治一家を築き、長女のロゼアネ氏もマラニョン州知事になっているが、企業家の長男フェルナンド氏も含め、汚職や縁故採用などのスキャンダルでも知られている。
 またサルネイ大統領以降、PMDBは議会内の中で常に1、2位の議席を占める党ではありつづけているが、1988年、元サンパウロ州知事のフランコ・モントロやマリオ・コーヴァスなどの有力政治家が新政党、ブラジル民主社会党(PSDB)を結成するために離党した。