ニッケイ新聞 2013年9月6日
田村=それと、今の邦字紙は進出企業とのコンタクトがあまりにも少なすぎるとは思うな。俺は『週刊時報』から『経済報知』、あれを黒字でやってこれたのは、企業に食い込んでいたからだと思うね。
深沢=確かに。そうですね。
田村=何百人という社長連中のインタビューをやったからね。だからいざ広告が欲しい時は、自分で出て行って社長と直にやっちゃうからね。 だから、進出企業っていうのは大事にしなければならんと思うよ。
深沢=敬吾さんとかは、今の紙面を見て歯がゆいところあると思うのですが、どうです?
田中=うーん、例えばね、記者が若すぎると思うんですよ。
深沢=若すぎる!
田中=ポルトゲースも知らんでしょ? よく言葉を知っている記者を採用すべきだと思うんですよ。日本から毎年1年ごとに来るでしょ? いつもゼロから始まるわけですよ。
深沢=そうですね。
田中=それよりは、60代くらいのお年寄りの中には書ける人もいるんだし、飛び跳ねられる人もいるんだから、そういう人を記者に採用したらいいんじゃないか。
田村=我々が入った時代ね、何カ月も外に出してもらえなくて「とにかくサンパウロ市内をよく知りなさい」と。それと、「今までの新聞のバックナンバーをよく読め」とね。そうやって3カ月も4カ月も外に出してもらえなかったんですよ。
田中=でも今それをやったら、記事が取れないですよ。
深沢=そうなんですよね。
田村=それでも、コロニアってやつのバックを知らないでそのまま出て行ったって、甘ったるい記事にしかならんよ。
深沢=うーん、たしかにそういう部分があることは事実です。ちゃんとした人をこっちで雇っている余裕がなくなっちゃっている。本当これは残念なことなんですけど。
若松=まあ、それはしょうがないことなんじゃないかな。
深沢=でも正直言って、これなくして今の邦字紙は成り立たないんですよね。研修記者はたしかに経験不足かもしれないが、そのOBは日本で活躍してくれています。
パウリスタ新聞では吉田さんが1990年頃に研修記者制度を始めました。日毎は80年代から日伯交流協会生を毎年受けれて、もう両方を合計すれば60人は軽く超える人材が記者研修制度から育っている。
この研修生にはマスコミ志望者が多くて、帰国後に新聞社やテレビ局に入ってますよ。ちょっと思いつくだけでも朝日新聞、読売新聞、NHK、北海道新聞、静岡新聞、高知新聞、岐阜新聞、神戸新聞とか、あちこちの報道機関で活躍しています。ブラジルのコロニアを知っている記者が日本でそれだけ活躍している。そんな人材を育成も邦字紙の重要な役割だと思います。取材される側、読者の皆さんからすれば、頼りない感じがするかもしれないけど、彼らは将来の日本を背負っていく人材ですから、そう思って接して頂ければ嬉しいですよね。
吉田=でも、あんたみたいに落ち着く人もいるわけだし。
一同=はっはっは。
深沢=僕はもうほとんど捨て身ですから。
一同=はっはっは(笑)
田中=50歳とか60歳で書ける人もいるんじゃないかな、永住権を持っていて。
深沢=永住権を持った移住者の人でね、邦字紙記者をやってみたいって人がいれば、本当に明日にでも来てもらいたいですけれど。
田中=まあ、問題は給料が安いことだな。
吉田=もう、ボランティア感覚でやってくれる人がいれば。
深沢=すでにアポゼンタした人とか、生活費は確保されているからボランティア半分でやってもいいとか、そんな人がいたらありがたいですね。
田中=高齢者は電車もバスも無料だからね。
一同=はっはっは(笑)
深沢=取材費がタダなのはありがたいですね。「ボケ防止に記者はいかが」みたいな感じですか(笑)。(つづく)