ニッケイ新聞 2013年9月7日
1990年1月、コーロル大統領(アラゴアス州選出)が大統領に就任した。このときわずか40歳。大統領夫人のロザーネ氏に至ってはまだ26歳で史上最年少でもあった。そういうこともあり、大統領夫妻への週刊誌からの注目度も高く、普段は政治に関心を寄せない人までも関心を寄せた。
だがこの政権は結局、最初から最後まで、国民の期待を裏切る展開に終始したものとなってしまった。
コーロル政権は「コーロル・プラン」と呼ばれる経済プランを掲げ、石油公社のペトロブラスや航空公社のエンブラエルなど、15の公社の民営化を試み(同政権中には実現していない)、積極的な自由貿易を行った。そのほか、通貨の切り替えや預金凍結などで、年間1000%に及んでいたハイパー・インフレの抑制を試みた。南米共同市場(メルコスル)が生まれたのは彼が大統領の時だ。
だがハイパー・インフレは一向に収まる気配を見せず、90年のインフレは年間1200%にまで上がり、預金凍結により企業の倒産が相次いで92万人もの失業を生んだ。
だが、政治の不安定以上に国民を失望させたのは汚職によるスキャンダルだった。92年5月、コーロル氏の実弟ペドロ氏が、「大統領の選挙参謀で右腕的存在として活動していたPCファリアス氏が、連邦政府への支持取り付けのために企業に贈賄を行っていた」ことを暴露したのだ。
前年の大統領選でコーロル氏と争ったルーラ氏の労働者党(PT)議員たちが、このスキャンダルに関する議会調査委員会の設置を求めた。7月24日、真相究明が進む過程でコーロル氏の運転手から大統領自身が賄賂の支払いを行なったのを目撃したとの発言があり、問題はついに大統領罷免にまで発展した。9月29日、議会投票で441対38の圧倒的大差で、前代未聞の大統領罷免が決定した。
また、この当時からコーロル氏が自宅で黒魔術を行い、自分と敵対する人たちを呪っていたとする噂が流れていたが、2012年、離婚後のロザーネ氏はそれが事実だったと証言している。この事件の渦中にPCファリアス氏は愛人とともに拳銃で死んだが、他殺か自殺かで未だに判明していない。さらに数年後、ペドロ氏も病死した。
コーロル氏は罷免されたが、議員仲間の助力で逮捕を免れた。長い期間、政治活動を禁止されていたが、2006年の選挙でアラゴアス州の上院議員に当選し、政界に復帰している。