ニッケイ新聞 2013年9月7日
若松=60歳というと若いよね。本当若い。
吉田=でも今はもう60過ぎですら、一世はあまりいないよね。
深沢=コチア青年の一番若い人が、もう70ですから。60代の戦後移民っていうのは相当少ないです。戦後の子供移民ぐらいでしょうか。そうなると言葉が達者な人が多いから、駐在企業とかでいい仕事に就いているでしょうね。
若松=まあ実際問題としてはやっぱり、研修記者は日本で金を払ってもらって、住むとこだけはこっちが負担する。そういう状態でしょ?
深沢=いやいや、とんでもない。日本で払ってくれる人とかいないですよ。少ないとはいえすべてこちらで負担です。
若松=今は、日本政府からの援助は入ってないの?
深沢=ゼロです、ゼロ。
若松=ブラジルに出てくる人たちに対する援助はない?
深沢=何もないです。国は一切関係ないです。
吉田=それって昔の渡航費の貸付とか、そういう援助ってこと?
若松=えーっと技術指導だとかって、専門家の派遣枠があったでしょ?
深沢=あー、JICAの青年とかシニア・ボランティアとかですかね。
若松=あれに入れなかったの?
深沢=入れなかったですねー、民間企業はダメだって。
吉田=それに、日本政府のひも付きで記者が来るとね。総領事館や在外公館を叩けなくなるからね。
深沢=その辺も痛いですもんね。
若松=あー、そっかー。
吉田=やはり、あらゆるものからフリーハンドでね、健筆を振るうと。
深沢=今は広告主からもフリーハンドですからね。書き放題です。タブーなき言論を掲げていた日本の雑誌『噂の真相』なみじゃないかとよく冗談にしているくらいですから(笑)
一同=はっはっは。
田中=でも、問題は邦字新聞の給料が安すぎることですよ。
深沢=ほんとそうですね。神田さんが生前、「コロニアの3大安月給企業には、必ず新聞社が入っていた」って自嘲していました。
田中=初任給が800レアルとか1000でしょ? だから30歳とか40歳を募集しても無理じゃないかと思うんですよね。それでちょっと働くと1200になるとか。だけどそれ以上上げると、前からいた人の給料を上げないといけなくなる。だから抑えるわけ。1200で子供一人養って、生活できる訳ないですよ。家賃なんかも高いですしね、今は。
深沢=まあ、一家を支えるようなお金を稼げる職場じゃないですよ。
若松=その辺が難しいよな。
深沢=人材の問題は本当に頭が痛いところで…。
吉田=我々の時代はフリーハンドな非常に良い発行環境の中で仕事させてもらった。ただ、残念ながら枯渇してきたし、残っている一世世代はアンカー(最終走者)の世代なんですよね。
深沢=そうですよね。
吉田=後から来る人がいないから、後から来る移住者に渡すわけにはいかんのですよね。我々がブラジル日系二世、三世に何を引き渡して、バトンを渡していくかという時代。我々がアンカーとしての自覚を持って、何を継承・伝承していくのか。そういう事柄をね、切実に考えなければいけない時期にきていると。新聞はそのことをいつも考えて、取り組んで欲しい。これは抽象的なことなんですけどね。どんな記事を書くに際しても、新聞が続く限り考えていって欲しいテーマではあるよね。
深沢=それで、まあなんとか100周年を越えるところまでは来たわけですけど。でも昔の新聞見ると愕然としますよね、全ページに渡って3分の1くらい広告で埋まっていますからね。いかにコロニアが活況を呈していたかが分かりますよね。
今はブラジル在住の日本国籍者が5万人強しかいない時代ですから、世帯数で言えば2万5千世帯。全世帯が新聞を取ってくれる訳ではないですし、そこに2紙があって市場を奪い合っている。ニッケイ新聞がなんとか1万部を保ってこられたのは、合併したおかげかもしれません。(つづく)