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ブラジル政治の基礎歴史=(7)=FHCで経済が安定=PSDB躍進の時代

ニッケイ新聞 2013年9月10日

 コーロル大統領罷免の後、93年から同職を受け継いだのは副大統領のイタマル・フランコ氏だった。就任前は国民にほとんど知られていなかった同氏は、コーロル失脚のショック後ゆえにあまり期待されていなかったが、同政権はハイパー・インフレに苦しんでいたブラジルの経済を軌道に乗せ、任期の終わる94年後半には高い支持率を獲得した。
 だが同政権への高い評価は、大統領その人よりも経済相をつとめたフェルナンド・エンリケ・カルドーゾ氏(ブラジル民主社会党・PSDB)に集まった。コーロル政権末期の外相として内閣に参加したカルドーゾ氏は、93年から経済相をまかされ、94年に新通貨「レアル」による「レアル・プラン」を導入した。これでドルとの固定相場制を取ったことでブラジルを長らく苦しめてきたインフレの抑制に成功した。
 この功績を生かす形で、カルドーゾ氏は94年10月の大統領選に立候補し、勝利を収めた。選挙は1次投票で過半数を獲得する圧勝で、2位のルーラ氏以下を寄せ付けず、決選投票の必要もなかった。
 カルドーゾ氏は83年にサンパウロ州選出の上院議員になるまではサンパウロ総合大学の社会学の教授で、1960年代からブラジルなど途上国の一群の学者らが競って研究した従属理論の大家だ。「資本主義が発達した先進国や覇権国に経済的な主導権を握られると同時に、知的要因でも強い影響を受けるなど、発展途上国は従属関係を強いられている」という左派理論で、大きな影響力をもっていた。また、ポルトガル語、スペイン語、英語、イタリア語と4カ国語を話す国際派インテリとして知られている。
 カルドーゾ大統領は「レアル・プラン」でインフレを退治して経済を安定させながら、石油公社のペトロブラスをはじめ、電話公社や航空公社の民営化を軌道にのせるなどの「小さな政府」路線を実行し、超インフレで減退していた民間産業の活性化を行った。
 また、カルドーゾ氏が大統領として注目を浴びる中、同氏所属のPSDBも台頭した。元来、フランコ・モントロ元サンパウロ州知事、マリオ・コーヴァス元サンパウロ市長によって民主運動党(PMDB)から独立する形で1988年に結党された党だった。
 その地盤であるサンパウロ州では、党の重鎮であったコーヴァス氏が95年にサンパウロ州知事に就任すると、その座はジェラルド・アウキミン、ジョゼ・セーラといった、その後大統領選挙にも立候補した党内の有力者に受け継がれた。2013年現在までPSDBはサンパウロ州知事の座を譲っていない。
 また、98年10月の大統領選でもカルドーゾ氏は決選投票を待たずしての圧勝で再選を果たした。97年のアジア危機、98年のロシア金融危機の余波で弱体化していたところへ、ミナス・ジェライス州のイタマル・フランコ知事(前大統領)が州の対連邦債務の90日間モラトリアム宣言したために外貨の大量流出を招き、IMFからのてこ入れを受けてなんとか乗り切った。
 しかし、経済が混乱したために政権支持率を落とした。しかし、この時代に大枠での経済の基礎固めが行われたため、2000年代の経済成長へのレールを引いた時代といわれる。