ブラジル政治の基礎歴史=(8)=13年待ちルーラ政権誕生=その影でメンサロン事件発覚
ニッケイ新聞 2013年9月12日
フェルナンド・エンリケ・カルドーゾ大統領(FHC、PSDB)が2期目の任期を終える直前、2002年10月に大統領選挙が行われた。与党のブラジル民主社会党(PSDB)は、カルドーゾ政権で保健相をつとめたジョゼ・セーラ氏を候補に立てて臨んだが、勝ったのは労働者党(PT)のルーラ氏だった。
ルーラ氏は1989年の大統領選でコーロル氏に僅差で敗れた後も、94、98年の大統領選にも続けて立候補。2度とも一次投票で敗れたが、いずれも2位。いわば「4度目の正直」での当選だった。
当時、ベネズエラのウゴ・チャベス大統領の反米左派路線が世界的に注目される中、南米で新たに左翼政党が政権を握ったことでも注目された。
「フォーメ・ゼロ」(飢餓ゼロ)を公約としていたルーラ大統領は、政権2年目の2004年に、かねてから提唱していた貧困層への社会福祉政策「ボルサ・ファミリア」を導入し、極貧層への生活扶助を行った。
その辺りの福祉政策は、実はFHC政権やチャベス政権のそれも参考にしたようだ。その一方で、貿易に関しては極端な反米左派路線は取らず、カルドーゾ政権時代にPTが反対していた公社の民営化なども継続して、左翼政権になったことを危惧する企業家からの反発を抑えた。
だが2005年、ルーラ政権に激震が走った。同年5月、ブラジル労働党(PTB)党首のロベルト・ジェフェルソン氏が、政府案に関する支持票の取りまとめのため、連立政党の党首や議員がPTの幹部クラスからの賄賂を毎月受け取っていたことを暴露した。
「メンサロン」と名付けられたこの計画には、PT要人であるジョゼ・ジルセウ官房長官、ジョゼ・ジェノイノPT党首、ジョアン・パウロ・クーニャ前下院議長(いずれも2005年5月時点での役職)といった中枢的人物が絡んでいることも明らかになり、騒ぎが大きくなった。
ルーラ大統領までは告発の手は伸びなかったが、それまで順調に国民の支持を受けていたPT政権は支持率を大きく落とした。
メンサロン事件は90年代以降の連立与党体制の弱みを露呈したものとなった。PTは2002年の下院議員選で大躍進したものの、全議席に占める割合は20%にも満たない。そのため、議会での過半数を得るために他党との連立が必要となるのだが、そこで起こったブラジル政治史上最大級の汚職事件だった。
なお、メンサロンの中心人物となったPTのジルセウ氏とジェノイノ氏は、軍政時代は学生運動のリーダーで、92年のコーロル大統領に同様の汚職疑惑が上がった際、弾劾を呼びかけた人物でもあった。