ニッケイ新聞 2013年9月17日
元大統領府広報局長官で連邦下議も務めた具志堅ルイス氏(三世)が13日夜、入院先のサンパウロ市内シリオ・リバネス病院で、腸閉塞による多臓器不全のため亡くなった。63歳だった。14日付エスタード、フォーリャ両紙始め、各伯字メディアが報じた。
父は沖縄県出身、母はリンス生まれの二世。1950年に7人兄弟の長男としてサンパウロ州オズワルド・クルス市に生まれた。バネスパ銀行で働きながらジェトゥリオ・ヴァルガス大学で経営学を修めた後、労働組合で頭角を現し、左翼団体の活動家となった。労働者党(PT)やCUT(単一労センター)の立ち上げにかかわり、89年にPT総裁就任。三期連続で連邦下議を務めた。
組合員時代に知り合ったルーラ氏とは特に親しい間柄で、3回にわたり選挙参謀として活躍、第一次政権では要職に就き手腕を発揮した。
12年前に胃癌を発症、02年に胃の3分の2を摘出したがその後腸に移転。08年には心筋梗塞を発症し、翌年は心臓にステント治療を施すなど、長年病魔と闘った末の死だった。
14日に市内のレデントール墓地で執り行われた葬儀にはジウマ大統領はじめ現政権幹部、PT党員、元活動家仲間が多数訪れた。
「常に民主主義と労働者層を擁護し、調和と社会正義を求めていた素晴らしい政治家で助言者、パートナーで大の友人だった」。同氏を〃シーナ〃と呼び、絶大な信頼を寄せていたルーラ氏は、このような言葉で盟友の死を悼み、〃PT三銃士〃と並べられたジョゼ・ジルセウ氏は「常に新たな道を模索した戦略家で、刺激を与えてくれた。今までそうであったように、これからも私たちの中のトップであり続ける」と称えた。
05年に公金横領を指摘され、翌年、政界を事実上引退。メンサロン事件の被告の一人として起訴されたが、ロベルト・グルジェル連邦検察庁長官が昨年、証拠不十分と認め無罪となった。
引退後は自身のシャッカラのあるサンパウロ州インダイアツーバに居を移し、企業のコンサルタントをしていた。銀行員時代に知り合ったエリザベッテ夫人との間に三児がいる。