ニッケイ新聞 2013年9月19日
エクアドルに到着した翌年に誕生した二男、田邊洋樹さん(ひろき、45)は、アメリカの大学を卒業後、日本で英語講師などをしていた。でも、兄の仕事の関係から、日本のバナナの取引先である会社に勤めるようになった。
兄弟に転機が訪れたのは2005年。たくさんの農家から集めたどんなものかわからないバナナを一つのブランドにして出すという、大手のやり方に疑問を持っていた正裕さんは、「顔の見えるバナナ」を目指して独立を決意したのだ。
エクアドル最大手ノボアに取引の終了を通告した。「ノボアの扱う量からしたら、うちはちっぽけで気にするほどではないと思ったが、気分を害したらしく命まで狙われた。ヘリコプターで農園まで乗り込んできてね」。冗談めかして話す正裕さんだが、キトに住む日本人の間では有名な逸話になっている。
また、それをきっかけに日本側の洋樹さんは新しい取引相手の会社に転職した。これでようやく「田辺バナナ」を日本へ送り出す体制が整った。
「自然に優しい」をモットーにした田辺バナナは徐々に日本で知名度を高め、コンビニエンスストアでは一本100円という値段ながらも人気商品となっている。
「水や土にこだわって、自然の営みから生まれるおいしさを大切にしたい」。正裕さんは、こだわりを追求するため、まだ次世代を考えて07年、08年に農園で働く日本人を受け入れた。
高橋力さん(ちから、37)は技術担当。出荷できない傷のあるバナナをミミズに与えてできた肥料と、バナナの茎やパルミート、おがくずにEM菌(有用微生物群)を振りかけて作った「ぼかし」堆肥を一株ずつ与え、農薬もできる限り自然に還るものをと日々研究を続けている。
また、10年には洋樹さんを呼びよせた。「父はリタイアするときにすべて降りて、何も言わなかった。それで自分は成長することができた」と正裕さんは振り返る。
「でも今は責任や規模が大きくなって、放り出すことは絶対にできない。彼らには担当分野だけでなく、全体を学んでもらわなくてはいけない」。
洋樹さんは「こちらの世代交代は日本と歩調を合わせながら。でもこの国が数年後どうなってるかわからないからね」と不安をはねのけるように笑い飛ばした。
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サントドミンゴから南へ約40分、ケベド市の少し手前に「バルサ買います」という小さな古びた看板がぶら下がっている。門を抜けると、看板には似つかわしくない大きな工場が現れた。
積まれた丸太を軽々と投げ渡し、大きな回る刃にあてて分割していく、それは木の太さからは信じられないほどの素早さだ。
それもそのはず、ここは世界一軽い木バルサの製材所だ。現在はほとんど製材所にやってくることはないという創業者の羽富(はとみ)博さん(69、茨城)が工場を案内してくれた。
先ほどの機械で長さと太さを大体揃えられたバルサは、大きな乾燥室に約13日間に入れられ、水分が90パーセントから8パーセントになるまで乾かされる。もともと軽い木であるが水分が抜けたバルサは固いスポンジのように軽い。
バルサ材はアメリカに輸出され、「そこから全世界に行く」と言う。(つづく、秋山郁美エクアドル通信員)