ニッケイ新聞 2013年9月26日
映画『南米の曠野に叫ぶ』は、その後、忘れられていたが、驚くことに30年も経った1980年代、ビデオ・カセットになって、コロニアに出回った。次々とコピーされて……。
同時期、円売り問題を含めて、戦勝派史観や関連記事が、その生き残りや理解者によって──コロニアではなく──日本で雑誌、機関誌、新聞、単行本で発表された。
その皮切りは1982(昭57)年5月から、月刊誌『潮流』に掲載された──戦勝派でサンパウロ在住の──猪股嘉雄執筆のノン・フィクションであった。
猪股は3年後、それを単行本『空白のブラジル移民史』(既述)にまとめた。その中で、円売り陰謀の中心人物の名を上げて、指弾している。筋書きは『南米の曠野に叫ぶ』と似ている。
1983年、海外日系人協会の機関誌『海外日系人』13号が、
「ブラジル日本移民80年祭への提言 勝ち組・敗け組抗争の糾明を急げ」
と題する長文の記事を掲載した。執筆者は同誌編集長の伊藤一男で、以前は、読売新聞の記者であった。
伊藤は、この記事の最初の所で要旨、
「誰も彼もがまるでステレオ・タイプのように『勝ち組』を『狂信派』といい…(略)…現在のブラジル日系社会は認識派、つまり『敗け組』が支配している。一方、いまでも残る『勝ち組』は歯ぎしりしても『狂信』の名のもとに歴史的に無視され、永い沈黙を続けてきた」
と指摘、円売りを含め、勝ち負け騒動から発した諸問題の真相解明をコロニアに慫慂している。
やはり、その頃、潮流の記事を読んだ東京の著述家・出版業者の玉井禮一郎が、猪股と連絡をとり、その原稿の出版権を入手すると共に『国会タイムス』へ、1984年3月から寄稿を始めた。 玉井は、さらに同年5月、東京を訪れたフィゲレード・ブラジル大統領に直訴状を送った。その件を、読売新聞、朝日新聞などが取り上げた。
この直訴状は、円売り陰謀にもふれている。猪股の説を基礎に、独自の見解を加えたものである。
玉井は、同年11月、単行本『拝啓 ブラジル大統領閣下』を出版した。直訴状送付に至るまでの経緯の詳細、さらに参考資料を盛り込んだ内容である。
猪股や玉井の書は、ブラジルにも入ったが、前記のビデオ・カセットも含めて、改めてコロニアの公の場や邦字紙の紙面で論議されることはなかった。
現存していたサンパウロ新聞の水本光任社長の名前が出てくるため、扱いにくかった……という点もあったろう。
さらに、認識派の代表者格であった宮腰千葉太、宮坂国人、山本喜誉司を「円売り陰謀の首謀者」と決め付けておきながら、確かな裏づけを提示していないため、逆に現実感が遠のいてしまい無視される……という弱点もあった。もし多少でも現実感があったなら、どこかが、何らかの反応を示した筈である。
猪股・玉井説は、問題の円は米国から持ち込まれたとしている。その要点は次の通りである。
日米開戦前、在米国の日本商社・銀行が、米国政府による資産凍結の気配を察し、巨額の円をブラジルに運び込んだ。しかし、ブラジルも日本と国交を断絶、日本企業の資産を凍結する危険が大きくなった。ために、その円を海興の宮腰千葉太、ブラ拓の宮坂国人、東山の山本喜誉司に預けた。
(3人が、それぞれ代表者であった海興、ブラ拓、東山は、当時の邦人社会の中心機関で、いずれも金融部門を持っていた)
戦時中、3人は、この円を、邦人社会の有力な商人や詐欺師(川崎三造、加藤拓治ら)を使って売りさばいた。
買わされたのは、薄荷生産者である。薄荷成金は国賊扱いされていたが、そこに目をつけた川崎らが、彼らを脅して買わせた。
戦後も、日本の戦勝報を流しながら、それを信ずる人々に売り続けた──。
この説は、当時、存在した円は、1億円と推定している。(つづく)