ニッケイ新聞 2013年9月27日
しかし、右の説の「在米国の日本商社・銀行が、巨額の円を所有していて、それをブラジルに運んだ」という部分であるが。──
その商社や銀行は、どういう経緯で、何のために、そんな巨額の円を所有していたのか?
当時、円が、大陸に大量に存在、供給過剰で値下がりしていたというから、その一部が、米国に運ばれたことはあったであろう。が、小額ならともかく、巨額の円を買っても、使い道がないではないか。
商社が、その円で物資を買いつけようとしても、売り手の米国人は、そんなものは受取らず、支払いはドルか当時の国際通貨ポンドを要求したであろう。
銀行だって使い道はない。
それと、非合法に海外に存在する円の日本への持込みは禁じられていたから、日本へ持って帰るわけにもいかない。
在米国の日本の商社や銀行が、巨額の円を所有していたという、その説そのものが怪しい。
百歩譲って、所有していたとしても、ブラジルに移して、どうするのか?
戦時用物資(鉱物)の買付けのためだったという説もある。が、売り手のブラジル人だって、円など受取らなかったであろう。
また、その円を預かった3人の大物たちが、戦後、それを売るために戦勝報を流したという部分もおかしい。彼らは認識派の代表者格だった人々である。円を売りたくて戦勝報を流したのなら、認識運動などする筈はない。
それと、明確な根拠もなしに、宮腰千葉太、宮坂国人、山本喜誉司を円売りの首謀者にしてしまったのは──3人とも故人になっていたとはいえ──乱暴極まる。
筆者は、1960年代の後半以降の宮腰と宮坂を直接知っているが、質素な暮らしぶりであった。二人とも詐欺など働くような人間ではなかった。山本には、色々な噂があるが、彼をよく知る人々は、この説を一蹴する。
ところで、円売り事件が表面化したのは、先に記した様に1947年である。その5月3日、ポルトガル語の新聞ジアリオ・ダ・ノイテ紙が「ある日本人が無価値な旧円紙幣1千円を、法外な値段で同胞に売り、関係者が警察に引致された」という要旨の記事を掲載した。
記事の中に、その日本人に円を売らした人物として、サンパウロ新聞社長の水本光任の名前があった。
さらに記事の末尾に、唐突に、円売りの仲介人として南米銀行の前総支配人、武田俊男の名も挙げられていた。(武田は、この時点では南銀を辞めていた)
これには、読者は仰天した。ところが、現実には、これは刑事事件にはならず、警察に引致された水本ら関係者は、調書をとられただけで、釈放されてしまった。
5月5日の邦字紙南米時事は「かかる行為は当局の法規には何ら抵触しないとはいっても、道義的には……云々」と記している。
つまり、こういう事を禁止する法規はなかったのである。
ここで重要な点は、実は円売りが表面化したのは、この一件だけだったことである。金額的にも大したことはなかった。
ところが、噂、憶測、想像ばかりが膨れ上がり、前記の様に、円売りに関する“作品”が次々と生産された。
しかし、その作品の全てが、事実関係の裏づけを欠いている。被害者の名前や被害額を明示した作品はない。1、2の例を挙げた作品はあるが、内1件は筆者が調べてみたらガセネタであった。 噂の様な巨額の円が存在し、組織的に売り捌かれたとしたら、数百人あるいは数千人の被害者が生まれていた筈である。無論、そういう被害を受けたことを恥として口外しなかった人も居よう。が、すべての被害者が、そうであったとは考えにくい。
火がない所に煙は立たずで、当時、円が、ある程度売られたことは事実であろう。しかし、その額は、噂の様な巨額ではなかったであろう。第一、そんな額を消化する経済力は、当時の邦人社会、コロニアには無かった。(つづく)