ニッケイ新聞 2013年10月1日
赤道直下のアマパー州都マカパー市で移住60周年記念祭典が先月14日に開かれた(27日付け本紙7面詳報)。ベレンからマラジョー島を越えた赤道直下に1953年、戦後移民が入った。ゴム栽培のため導入された移住だったが、全財産を売り払った移民らが現地で告げられたのは「金になるまで7年かかる」▼多くが時を待たずに逃げ出した。第1回移民24家族が入植したマタピー移住地の地名がなんとテーラ・フェーホ(鉄の土地)。鉄分が多く栽培に適していない。入植者らがその名前に気付くのも辛酸を舐めた数年後だったという。同移住地が電化されたのはわずか10年前だ▼そんな話をしてくれた尾形慎也さんが式典で「ブラジルに感謝」と述べた。歴史を振り返るだけでなく、同地コロニアの将来を感じさせる機会にもなったようだ。日本文化イベントを開催し、和太鼓グループも結成された。コーディネーターを務めた横野玲子さんが「メディアにも取り上げられた」と本紙に喜びの声を伝えてくれた▼アマパー文協の会館もあるのだが、会場となったのは横野さんが経営する学校。09年に「本当に出来るんでしょうか…」と建設が滞っていた校舎を見ながらの嘆息を思い出す。その学校で日本文化イベントをやったのだから、感慨深いものがあっただろう▼移住者らに加え、結婚でブラジルに移り住んだ横野さん、日本の進出企業が三位一体となり、ベレンに派遣されているJICAボランティアらが琴を携え華を添えた。小さいながらも、新たな息吹を感じさせるイベントの成功を祝福し、今後の活動にも期待したい。(剛)