ニッケイ新聞 2013年10月2日
ジュセリノ・クビシェッキ元大統領は1976年8月22日にリオ市で起きた交通事故に巻き込まれて死亡したとされているが、その時の事故の責任を問われたバスの運転手が1日に、自分は事故には無関係だが、責任をかぶるよう頼まれたと証言した。
1日付エスタード紙や同日付G1サイトによると、サンパウロ市議会の真相究明委員会に赴き、軍政下の76年8月に起きた事故に関する証言を行ったのは、事故の後に無罪判決を受けたバス運転手のジョジアス・ヌーネス・デ・オリヴェイラ氏(69)だ。
ジョジアス氏は事故当時、ヴィアソン・コメッタ社のバスの運転手として働いており、事故当日もヅットラを時速80キロで走っていた時に、時速70キロ位で横の車線を走っていた車が、右側からバスを追い越した後に中央分離帯を乗り越えて対向車線に侵入、反対側から来たトラックと正面衝突したと事故の様子を克明に証言。
事故に気づいたジョジアス氏は、急いでバスを停めて救助しようとしたが、運転手のジェラウド・リベイロ氏は即死。元大統領も、ジョジアス氏の腕の中で最後の瞬きを見せて事切れた。
ところが、この事故の後、サンパウロ市に住んでいたジョジアス氏の自宅に男性2人が現れ、「事故が起きたのは自分のせいだといえばこの金はお前のものだ」と言いつつ、現金を詰め込んだトランクを見せたという。
ジョジアス氏の家族は金を受け取って罪をかぶれといったが、ジョジアス氏は拒否。結局は裁判で無罪となったが、元大統領を殺した男との汚名を着せられ、苦しむ事37年。真相究明委員会では証言したジョジアス氏は、台無しにされた自分の人生を償って欲しいと涙を流しながら訴えた。
死亡した元大統領の運転手の遺体は1996年に再鑑識を受け、頭蓋骨と共に金属片が見つかっている。金属片は棺の釘と判断されたが、鑑識官の一人は、その時も、金属片は銃弾の可能性がある事を指摘していた。今回の証言を受け、検察が再々鑑識を行う可能性が出て来た。