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ブラジル人初メジャー投手=リエンゾ選手が凱旋帰国=「コロニア野球で規律学んだ」=地元アチバイアで歓迎会

ニッケイ新聞 2013年10月8日

 米野球・メジャーリーグ初のブラジル人投手として今年7月にデビューを果たしたシカゴ・ホワイトソックスのアンドレ・リエンゾ選手(アチバイア野球クラブ出身)が9月末にレギュラーシーズンを終え、今月1日に帰国した。地元・アチバイアで本紙のインタビューに応えたリエンゾ選手は「アチバイアで学んだ規律の重要性が自分の中に生きている。帰ってくればすぐに仲間と野球が出来るこの場所は、今でも非常に大切な存在」と故郷のクラブへの愛と感謝を口にした。

 4日にアチバイア文協で開かれた歓迎会には、100人近い関係者がつめ掛け、活躍を讃えた。市議会からもオノ・エミル市会議長らも参加し、特別表彰も行われた。
 今季メジャー初昇格ながら10試合に登板し2勝(3敗)を上げ、ブラジル野球の歴史に名を刻んだリエンゾ選手。野球を始めたきっかけは、女手一つで3兄弟を育て上げた母・マガリさんの「日系人のもとで規律を学ばせたい」という思いだった。
 「グラウンドに連れて行ったその日から、アンドレはすぐに野球に夢中になった。バットとグローブに息子をとられたような気分だったわ」とマガリさんは当時を懐かしそうに回想する。
 負けず嫌いでやんちゃだったアンドレ少年は、持ち前の負けん気の強さと堅強な肩、怪我をしない頑強な体を駆使し、めきめきと頭角を現す。16歳でヤクルト・アカデミーに入校し、18歳時にはついにメジャーのスカウトから声を掛けられるまでに成長。
 「野球で身を立てる。夢に向かって突き進む」ことを決心し、コロニア野球の期待を背負い、単身海を渡った。ドミニカ共和国での新人リーグに始まり苦節7年、今年序盤にマイナーリーグでの活躍が評価され、ついに念願だったメジャー昇格を果たした。
 全米のエリートが集結する舞台に立つ今も「規律とチームワーク。これを学べたのはアチバイアだったから。当時は随分やんちゃをしてコーチを困らせたけど、今の自分があるのはここで野球を始めたから」と地元への感謝の思いは強い。
 「こいつは俺の息子みたいなもんだ! あんなに小さかったのに、いつのまにかこんなにでっかくなっちゃって…」とリエンゾ選手と肩を組み、頬を緩ませたのは、同クラブの秋山勇技術部長(65、広島)。「本当に負けず嫌いで手のかかる子だっただけに、立派に成長してくれたのは本当に嬉しい」と感慨深げに語った。
 会場では、リエンゾ選手のサインを求める野球少年たちの列が出来、大興奮の中写真を撮る姿も多く見られた。野球クラブでサードのポジションにつくリアメ・ドウター君(9)は「最高! 僕もアメリカを目指す!」と興奮した面持ちで語り、ピッチャーのガブリエル・ゴメス君(9)も「凄くカッコ良い。あんなピッチャーになりたい」とサインを手に目を輝かしていた。
 ヤン・ゴメス選手とのブラジル人同士の初対戦や、昨年浮上したドーピング問題など、リエンゾ選手との一問一答含む関連記事は、弊紙Facebookページ(www.facebook.com/nikkey.shimbun)に掲載。