ニッケイ新聞 2013年10月15日
独裁軍事政権時代の人権侵害を調べ直す国の真相究明委員会(CNV)、サンパウロ州小委員会(アドリアーノ・ジオゴ委員長=PT、州議)の会合が10日午後、サンパウロ州議会内で開かれ、CNVメンバーのローザ・カルドーゾ弁護士は、45年までのヴァルガス独裁政権時代、その後2年にわたった日本移民への迫害を事実と認め、「(日本移民への)迫害の背景には、当時のブラジル人エリートによる人種差別があった。ブラジル国民として謝罪するだけでなく、許しを請いたい」と述べ、委員会として正式に謝罪する発言をした。
10日付オ・グロボ紙電子版によれば、軍政時代に拷問を受けたジウマ大統領の弁護人も務めたカルドーゾ氏は「一部のブラジル人エリートは常に人種差別者だった。ブラジルが発見された当時、下等民族とみなされたインディオが大量虐殺され、黒人は動物、商品として非人間的な扱いを受け、その次は移民、特にアジア系の移民がターゲットになった。戦争中にその差別が顕著になった」と認めた。
ジオゴ委員長は「ブラジル国民は日系社会に謝罪をすべきだ。アンシエタ島に172人が送られたのは、当時の独裁政権の人種差別や不寛容によるもの」と強調、「172人のうち大部分が無罪で、DOPS(社会政治警察)で日章旗を踏むことを拒否しただけで島送りにされた」とした。
会合には3人が証言者として出席した。脇山甚作殺害事件の実行犯の一人だった日高徳一さん(87、宮崎)=マリリア在住=は、15年に及んだアンシエタ島での生活を語り、当時日本移民が受けた違法投獄、拷問などの不当な扱いについて証言した。
カンバラ・シズコさん(二世)は当時16歳で、1946年に亡くなったとされる写真家の池田フクオさんの投獄を目の当たりにした。池田さんは警察に拷問されて亡くなったとし、勝ち負け抗争で緊迫していたサンパウロ州内陸部の日系社会の様子を思い起こした。
日高さんと同じくアンシエタ島に流された故山内房俊さんの息子、山内アキラさんへのインタビューは映像で流され、「獄中のことを証言するよう父に何度も言ったが、話したがらなかった。日本人が嫌いな軍曹に酷い扱いを受けたと父は言っていた」と話した。
実録映画『闇の一日』を制作した奥原マリオさん(三世)は、映画完成後から委員会に働きかけた。昨年末に委員会の会合で映画が上映されてから公式案件として扱われることが決まり、調査が進められてきた。「13年の活動の一つの集大成で、(謝罪は)大きな成果」と映画制作開始から現在までを振り返り満足感をにじませる。
「日本移民はブラジルの建国に貢献した。その日本人が差別を受け、辱められた歴史がある。それがずっと明らかにされなかった」と訴えた。
会合には安部順二連邦下議、羽藤ジョージサンパウロ州議、サンジョゼ・ドス・カンポスのアメリア・ナオミ市議ら日系議員、9月に亡くなった具志堅ルイス元大統領府広報局長官の息子ギリェルミ氏を含め、150人以上が出席した。
勝ち負け抗争をテーマにした『汚れた心』の著者フェルナンド・モライス氏は11日付オ・グロボ紙の記事の中で、「謝罪だけでは不十分。金銭補償をすべき」との見方を示している。「拷問や迫害だけでなく、旧枢軸国出身の移民の財産を没収し、誰にも返還されていない。中銀の資料にその証拠がある」
CNVはジウマ大統領の肝いりで2012年に設置されたもので、1946〜88年の間に起きた人権侵害について調査を行っている。46年以前の当時の政権による人権侵害が扱われたのはこれが初めて。