ニッケイ新聞 2013年10月17日
15日、「サッカーの王様」ことペレが、自身についての著作「1283」の発売記念イベントで、ビートルズと自身にまつわる秘話を披露した。
この「1283」は、ペレが現役中に決めたゴールの数を題としており、ペレに関する数ある著作の中でもペレ自身が「決定版」と呼ぶ重要な位置付けの作品で、名前と同じ1283冊限定で発売するという貴重なものだ。頁数も1283ページという大型本で値段は3600レアル(日本円約14万5千円)とかなり高価なもの。50部限定の特別版は5千レアル(約22万円)とさらに跳ね上がる。
15日にサンパウロで行なわれた記者会見では、ペレがこれまでの人生を思い出話と共に振り返ったが、その中で記者陣の興味を集めたのが、1966年にビートルズとの間に起こったある出来事だった。
この年はビートルズの地元のイングランドでワールドカップが開催された年としても知られているが、大のサッカー・ファンでもあったビートルズは、この大会のためにイングランドで合宿を行なっていたブラジル代表に連絡を取ろうとしたのだという。その申し出の内容は、「ペレと是非話がしたい」「ブラジル代表の合宿所に行って特別コンサートを開いてもいい」というものだったという。だが、それは結局実現しなかった。
その数年後、英語を勉強しようとニューヨークに留学したペレは、同じ学校で日本語を学んでいたジョン・レノンと出会うことになったが、その際、ジョンはペレに66年のW杯でのことについて聞いたという。そこでペレはジョンに「当時のセレソンの責任者が、〃あんな長髪野郎たちに、この合宿所に足を踏み入らせるわけにはいかない〃と言ったんだ」と明かしたという。
ちなみに、1966年のW杯は7月に行なわれているのだが、その前月6月の下旬にビートルズは唯一の来日を果たし、日本武道館で公演を行って、ブームを巻き起こした。また、この年の8月29日のアメリカ・サンフランシスコの公演で、ビートルズはコンサート活動を休止し、1970年の解散まで公演を行うことは2度となかった。
ペレは1974年にサントスFCで引退宣言すると、翌75年にはアメリカにわたり、サッカー・メジャー・リーグのニューヨーク・コスモスに入団し活躍したが、当時はジョン・レノンも妻のヨーコ・オノと共にニューヨークに在住している。ペレはジョンについて「彼とのニューヨークの日々についてよく思い出す」と度々語っている。
ペレ、ジョン・レノンの2人は共に1940年の生まれの同い年でもある。(16日付G1サイトより)