ニッケイ新聞 2013年10月19日
「イパネマの娘」をはじめ、ブラジル史を代表する作詞家、歌手として知られるヴィニシウス・デ・モラエスが19日で生誕100周年を迎えた。伯字紙では既に大きな特集も組まれており、19日には各地で記念行事も行なわれる。
1913年10月19日にリオ市郊外で生まれたヴィニシウスは若い頃から詩と語学に長け、イギリスやフランスで外交官として働く傍ら、詩人や劇作家として活動した。そして1956年、自身が脚本を手がけた演劇「黒いオルフェ」がリオで公演された際、同作で音楽を担当した当時新進ピアニストだったアントニオ・カルロス・ジョビンと出会った。
ヴィニシウスの仕事がブラジル拠点となった58年頃からはジョビンと共同で音楽活動を行い、作詞家として活躍。そこから生まれたのが「想いあふれて(シェガ・デ・サウダーデ)」や「イパネマの娘」などだ。特にアストラッド・ジルベルトが歌った「イパネマの娘」は、65年に米国のグラミー賞の「最優秀レコード賞」を受賞。これによって「ボサ・ノヴァ」の存在が世界的に広がることにもなった。
ヴィニシウスは64年に成立した軍事政権が68年に定めた軍政令5号に反対したために外交官の仕事を追われたが、その後は自ら歌手としても活動。バーデン・パウエルやトッキーニョをパートナーに「アフロ・ボッサ」(66年)をはじめ、ブラジル音楽史に残る名作アルバムを発表した。晩年は「ブラジルの子供の歌の最高傑作」のひとつとされるアルバム「ア・アルカ・ド・ノエ」のプロデュースも手がけたが、長年のアルコール中毒に起因する脳溢血のため、80年7月9日に66歳で死去した。
ヴィニシウスの音楽や文学に対する功績を称える声は死後も続いており、今回の生誕100周年を祝うためには、エスタード紙は6日付、アゴラ紙は13日付でそれぞれ10ページ前後の特集記事を組んでいる。特にエスタード紙では、トッキーニョや実娘のマリアさん、ヴィニシウスの9番目の妻で結婚当初、約40歳の年齢差があったことで話題を呼んだジルダ・マットーゾさんらが手記を寄せ、私生活におけるヴィニシウスの素顔について語っている。
19日には、サンパウロ市中央部リブラリア・クルトゥラでの詩の代表作の朗読会や南部イビラプエラ公園大講堂でのヴィニシウスの曲に基づく演劇上演、南部SESI劇場での記念コンサートなど、サンパウロ市だけでも三つの記念行事が開催される。テレビでもクルトゥラ局が、今日から3週にわたり、毎週土曜日に記念番組を放映する。