ニッケイ新聞 2013年11月7日
むっとする熱気のなか、冷房の効いた韓国製のバスに乗る。涼しいが空調がうるさい。視覚に集中し、車窓から市内を眺める。ブラジルと似ており、看板などの西語をポ語に変えれば見分けがつかないだろう。
すると、ガイドの内藤さんが「もうすぐホテルに着きます…ちなみに右側に見えるのはトルヒーリョ大統領の妾の家でした」とアナウンス。いいなあ、その情報。ちなみに内藤さん作成の旅のしおりの注意書きにもシビれた。「ホテルロビーでのステテコだけは止めてください」。内藤さんからは以後、上下前後のドミニカ事情を聞くことになる。
まもなくボゴタ経由の50余名も到着したが、12人分の荷物が届かなかったという。「ブラジル日系文学」の編集長中田みちよさん(72、青森)もその一人。「困りますねえ」と声をかけると「よくあるわよ〜」と事もなげだ。この動じなさ、腰の座り。記者が好きな移民女性の良質だ。ぜひとも最近の日本女性も見習ってほしい。
チェックインを終えロビーにいるわが一行が俄かにざわついた。聞けば、エレベーターのなかで二人がスリに遭ったという。無理やり乗り込んできた中年女性が犯人のようだ。部屋のカードを通されなければ動かないエレベーターの防犯対策、意味なしである。ドミニカ、気が抜けない。
加えてボゴタ便は乗り換え時間が昼時だったようで、機内食が出なかったとか。「今日始めてのまともな食事よ〜」と移動で終わった一日を取り返すかのような勢いでサラダを頬張るテーブル向かいに座った女性。どこかで見たことあるなあと思案していたら、自己紹介でリベルダーデの日本食レストラン「千代」の女将、大村順子さん(63、鹿児島)だった。ブラジル転住組の一人。
「記者失格ねえ〜」という同席女性の厳しい指摘を苦笑いでかわしていると、テーブルに妹のツヤ子さん(61、同)と夫の広光正照さん(73、高知)が現れ、笑顔で抱擁。ツヤ子さんがブラジルを訪れたことはあるが、順子さんのドミニカ訪問は初めて。姉妹は20年の空白を埋めるかのようにその夜語り合ったという。
翌朝のロビーで「俺もドミニカに来る予定だったんだよ」。セラードのコーヒー農園で有名な下坂匡さん(76、福島)が振り返る。
「条件がいいだけに選考が厳しくてね。ずっと待っているうちに、ブラジル行きが決まったってわけだ。結果的にはブラジルで良かったんだろうね…だからずっとドミニカは来てみたかったんだよ」と話す。
「ずっと研修生がいたでしょ。夫婦で旅行なんて出来なかったですよ」と嬉しそうに笑う妻ヴィトリアさん(70、二世)と参加した。
「30万本コーヒー植えてっていう田畑初さん(第2回)に会いたかったけど今回は難しそうだね」と、市内観光へのバスに乗り込んだ。
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さて、ドミニカ移民計画に動きのなかで、ブラジルに縁の深い人物が登場する。1931〜37年に高拓生をアマゾンに送り込んだ上塚司だ。
1954年、サンパウロ400周年記念祭に参加した使節団の一員だった上塚は、日本への帰途、ドミニカに立ち寄りトルヒーリョ大統領から日本移民受け入れの申し出を受ける。アマゾン理想郷づくりに頓挫した上塚だけに、岡崎勝男外務大臣にロマン織り交ぜ報告したことだろう。