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カリブ海の〃楽園〃を往く〜第40回県連ふるさと巡り〜(4)=新大陸最初の街を散策=記念碑に〃国策〃の文字

ニッケイ新聞 2013年11月8日

ドミニカ国策日本人農業移住記念碑の前でパチリ

ドミニカ国策日本人農業移住記念碑の前でパチリ

 サントドミンゴの旧市街はドミニカ唯一のユネスコ世界遺産。1492年にコロンブスが到着、96年に弟のバルトロメが建設した新大陸初のスペイン植民地の町であり、日時計、大聖堂など様々なものに「新大陸初」の冠がつく。
 ちなみにコロンブスは、マルコポーロの「東方見聞録」にある黄金の国ジパングを目指しており、当初この島と勘違いしたのだとか。
 コロンブスのサントドミンゴに対する思いは強かったようで、遺言どおり遺体は大聖堂に安置された。現在は1992年の新大陸発見500年で建設されたコロンブス記念灯台で眠っているというが、ジパングから来た一行の喧騒に、目を白黒させたかもしれない。
 そんな思いを馳せながら大聖堂を見学していると、常連の小山徳さん(64、長野)がガイドに「この石を接着しているのは鯨の油?」と極めてマニアックな質問。「…知りませんよ」と返されていたのがちょっと面白かった。
 教会、劇場、タバコ倉庫などを経て、大統領や歴代総督、国民的英雄が眠る霊廟となったパンテオンへ。参加者が持っていたガイドブックによれば、ラフな格好だと入り口で注意されると書いてある。ちょっと身を引き締めて入ると、日本人が珍しいのか、いきなり学生たちに囲まれ、記念撮影、サイン会に誘なわれそうになったので、そそくさと退散する。
 国家建設に命を捧げた英霊たちに敬意を表し、衛兵が規律正しくブーツの音高らかに銃の交代式を行なっている。それを尻目に通りに出ようとすると、さきほどの学生たちに記念撮影を頼まれた入り口の儀丈兵が女子学生の腰にしっかり手を回している。記者が上官だったら往復ビンタの上、懲罰房送りである。
 オサマ川を左手に見ながら、カリブ海に至るとすぐ右手に『ドミニカ共和国 ドミニカ国策日本人農業移住記念碑』が、かつて移民が降り立った港の前にある。今年1月に落成式が行なわれ、若林健太外務大臣政務官、JICA理事、ドミニカ政府関係者も出席した。
 〃国策〃と入っているのは、碑の建設委員長で、ドミニカ日系人協会の嶽釜徹会長の強い要求だったことを本人から聞いた。しかし、外務省HPのリリースなどには、その文字はない。不思議なものである。
 一行はいざ中華街へ。内藤さんによれば、2008年にできた世界8番目、中南米3番目の規模だという。とはいえ東西南北2ブロックほどの大きさだ。到着前、すでに注文しているという店で、やたらに待たされる。到着日夜、ブッフェ組と和食組に分かれたのだが、先に注文しておくので—と空港で注文を取ったにも関わらず、天麩羅ソバが出るのに1時間ほど待たされたとか。
 ヤレヤレ。飲む気はなかったのだが手持ち無沙汰なのでビールを頼む。「プレジデンテ」には低アルコールの「ライト」と普通の「ノーマル」がある。どちらがいいか? とガルソンが聞くので後者を頼んだのに何故か「ライト」が来た。不平を言うと首を傾げ、これしかないという。
 記者の感覚でいうとバイーアの田舎の調子だ。コーディネーターやガイドは大変だろう。すると内藤さんが「ドミニカ人はね、メートルは分かるんです。ただ、センチは無理かな」となかなか上手いことをいう。
 待ちに待って登場したのは、ヤキソバ、あんかけヤキソバ、ヤキメシ。とんだ「炭水化物祭りinドミニカ」だ。
 不思議なことに、かなりの空腹だったにも関わらず、味覚障害になったかというほど味を感じない。塩がないのか、しょうがないのか。店頭で鳥のから揚げを買って食べる。これは旨い。内藤さんが一句。「ドミニカは/明けても暮れても/ポージョ(鶏肉)です」
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 市内観光の中途、日本語学校(上原邑子校長)にも立ち寄った。JICA青年ボランティアの小出知子さん(38、香川)が説明してくれる。JICAが把握している国内70人ほどの日本語学習者に対し、6人の青年ボランティアが派遣されているというのでみなで驚く。首都、ハラバコア、コンスタンサ、ダハボン、ヴィセンテ・ノブレ、ラ・ヴェガの6カ所を巡回、指導にあたる。介護福祉士として小角尚子さん(32、山形)が派遣されているが、近隣に老移民は住んでおらず「これからデイサービスなどを充実させたい」とのこと。