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Rセニが「神様」に並ぶ=同一チームでの出場試合数で

ニッケイ新聞 2013年11月22日

 サンパウロFCの主将でゴールキーパーのロジェリオ・セニが、20日に行われた南米選手権準決勝の対ポンテ・プレッタ戦で、サンパウロでの通算出場試合数を1116試合とし、「サッカーの神様」ことペレがこれまで持っていた「同一チームでの最多出場記録」に並んだ。ここではセニのこれまでの経歴を辿ることにする。
 ロジェリオ・セニといえば、サンパウロ市民で多少なりともサッカーが好きな人なら誰でも知っている市民のヒーローだ。1973年1月22日にパラナ州で生まれたセニは、17歳だった1990年にサンパウロFCと契約した。同チームでのAチームでの試合出場は20歳のとき、1993年6月25日のサンパウロ州選手権、対テネリフェ戦だった。
 以来そこから20年間、セニはサンパウロ一筋にプレーしてきたが、その間、90〜00年代の2世代に渡って国内最強レベルを保ち、同チームの歴史上最も強い時代を支えてきた。
 試合に出はじめた93年には、名フォワード、ライーを擁してリベルタドーレス杯2連覇を達成したときの2年目の南米一に貢献。その年のサンパウロFCは世界一にも輝いた。南米一、世界一には2005年にも輝いている。
 そして2006〜08年には全国選手権(ブラジレイロン)で3連覇を達成している。
 ただ、そこまでの選手でありながら、セレソン(代表チーム)での試合出場数は17試合と意外なまでに少ない。それはこの当時、サンパウロ市内のライバルであるパルメイラスの守護神だったマルコスにレギュラーの座を譲っていたからだ。この当時は、セニ、マルコスに加え、コリンチャンスにもジーダがおり、ブラジル史上まれに見る熾烈な守護神争いが行なわれていた。セニは控えながら、02年のワールドカップの優勝メンバーにもなっている。
 そんなセニは、守りもさることながら「フリーキックの名手」として知られ、サンパウロがPKを得た際にはみずからシュートを決めることでも有名だ。現在まで通算で決めたシュート数113は、ゴールキーパーが決めたシュート数で世界一となっている。
 40歳になった現在もほぼ毎試合出場を続けているセニの鉄人ぶりには賞賛の声が絶えないが、記録に並ばれたペレは「移籍が盛んな今のご時世でロジェリオのような記録を作るのは本当に難しい。選手の鑑だ。もっと彼のように一チームにこだわる選手が増えて欲しいのだが」と語っている。
 ちなみに「同一チームでの出場試合数」でのペレとセニ以外の代表的な選手としては、78年のW杯のストライカーだったロベルト・ジナミチ(ヴァスコ・ダ・ガマ、1110試合)、60〜70年代のパルメイラス全盛期を支えたアデミール・ダ・ギア(901試合)、82年W杯の「黄金カルテット」のセレソンでサイドバックをつとめていた、ジーコと並ぶフラメンゴの人気選手ジュニオール(857試合)などがいる。(20日付アゴラ紙より)