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ジェノイーノが下議辞任=下院役員会で不利になり=波乱万丈の議員人生に幕=他のメンサロン議員は?

ニッケイ新聞 2013年12月5日

 メンサロン事件で実刑判決を受け、現在服役中のジョゼ・ジェノイーノ下院議員(労働者党・PT)が3日、議員罷免か否かが決定される前に、みずから議員職を辞任する旨を明らかにした。この決断に、他のメンサロン事件の有罪議員も続くのではないかとの憶測も飛んでいる。4日付伯字紙が報じている。

 ジェノイーノ氏の辞意は3日、下院役員会の席上で発表された。この役員会では、副議長でPTのアンドレ・ヴァルガス下議が、ジェノイーノ氏の議員罷免を決める審議を、同氏の病状を理由に最低限90日延期することを求めていた。ジェノイーノ氏は心臓病の手術を理由に7月から休職扱いになっている。
 だが、役員会7人による投票中、4対2で審議延期が却下されることが事実上決まった段階で、ヴァルガス氏がジェノイーノ氏の辞表を提出した。ジェノイーノ氏の辞任はルーラ前大統領とルイ・ファルコンPT党首との相談の末に決めたもので、同氏の弟のジョゼ・ギマランエス下議が役員会の席に届けた。
 軍政時代に学生運動のリーダーとして活動していたジェノイーノ氏は、1968年にブラジル共産党(PCdoB)に入党し、70年には左翼最大の反乱とも言われる「アラグアイアの戦い」に参加。72年に逮捕され、5年の実刑判決を受けるも、77年に釈放され、80年の恩赦法適用でPTに入党。82年にサンパウロ州の連邦下議選で初当選し、以降、5期連続で下議をつとめた。
 2002年はサンパウロ州知事選に出馬したが、ジェラウド・アウキミン氏(民主社会党・PSDB)に敗れて落選。すぐにジョゼ・ジルセウ氏に代わってPT党首に就任した。2005年発覚のメンサロン事件では、ジルセウ氏と共に同事件の中心人物と見られた。
 下院には06年も当選し、10年は補欠だったが、13年2月、前年のメンサロン裁判で6年11カ月の実刑判決を受けながらも、繰り上げで下議に返り咲いていた。
 ジェノイーノ氏は辞任後、10年まで下議をつとめた分の年金、月約2万レアルを受け取るが、この額は、病気を理由とする退職願いが承認されれば、2万6700レアルに改訂される。同氏の辞任で、他のメンサロンでの有罪議員、ヴァルデマール・コスタ・ネット氏(民主党・PR)、ペドロ・ヘンリ氏(進歩党・PP)、ジョアン・パウロ・クーニャ氏(PT)の3人も罷免となる前に辞任すると見られている。特にコスタ・ネット氏は、05年にメンサロン事件への関与が発覚した際に一度辞任している。また、罷免を恐れての議員辞任は、ブラジルでは頻繁に行なわれている。
 また、3日の下院役員会後、ヴァルガス氏は、エンリケ・アウヴェス下院議長(民主運動党・PMDB)が罷免審議を早急に始めるべきとの意向に他の役員も従うよう求めていたとし、「議長は世論に振り回され、事実で物事を判断していない」と批判した。