ニッケイ新聞 2013年12月12日
中国南部の人口800万人の都市、東莞(ドングァン)には、シュラスカリア、ブラジルの学校のカリキュラムで教える高校がある。90年代の経済危機で打撃を受けた国内の靴業界で、職を失ったブラジル人靴職人たちの〃避難所〃となった場所だ。
リオのフラメンゴ海岸沿いを思わせる、広い大通りと景観——。中国では最大のブラジル人コミュニティとなり、4千人が住んでいたドングァンは既に、多くのブラジル人靴職人にとっての「黄金郷」ではなくなっている。
現在は人件費の上昇とともに生産コストが上がり、ブラジル人による靴製造所の多くがベトナム、バングラデシュ、インドネシアなどに移転した。広東省にある中国領事館によれば、ドングァンに住むブラジル人は1753人に減っている。
靴職人たちが最初にドングァンにたどり着いたのは20年前だ。国内での需要減にあえぎ、アジアの市場に目を転じた靴職人の多くは南大河州ヴァーレ・ド・リオ・ドス・シノス市出身者。同市は従来から靴の生産地として知られ、地元企業が持っていない製造技術を積極的に取り入れていた。
16年間ドングァンに住むサンタカタリーナ州出身のアリ・フィリピニさん(59)は、中国の靴製造所と欧米を中心とする顧客との橋渡しをする会社を経営している。かつては1年に3300足も輸出していたが、現在は2千足前後だ。
家族の写真と中国を中心にした世界地図を飾った部屋で、アリさんは「まず中国内陸部に進出し、次に別の国を求め始めている。次は中国が投資していて良い関係を築いているエチオピアがターゲットになるのでは」と語る。
アリさんが中国に来たとき、ドングァンは魅力にあふれた市場だった。中国元も今より価値が低く、作業員の平均月給は500元(約193レアル)だった。今はそれが4倍の額になっている。
ドングァンでのブラジル人業者の存在感を薄めているのは、中国の靴業界の競争力低下だけに限らない。最初に移住してきた世代が持っていた縫製、裁断、革の仕上げ作業などの靴製造技術が、より安い給料で雇われていた中国人に吸収されてしまったことも一因だ。
15年前にはある意味冒険で、ほんの少しの人しかしなかった国外移住も、今では違う。「来たがっているブラジル人は山ほどいる」とアリさん。1年のビザで来て、機会を待ち続けるのだという。
ただ、何人かのブラジル人にとっては、ドングァンはまだ黄金郷であり続けている。15年住んでいるリカルド・レイテさん(44)は、最初はアリさんの会社で働き、2年後に開いた靴工場が大成功した。小規模で付加価値の高い靴を製造するリカルドさんは、今でも欧米諸国の一流ブランド(ダナ・キャラン、ドルチェ・アンド・ガッバーナなど)に品を卸し、年商は1億ドルに上る。
かつては22人いたブラジル人従業員は今では7人に減り、全社員数は250人だ。次の目標は女性向けのブランドを作ることで、そのために女性デザイナーを呼んだという。(8日付フォーリャ紙より)