ニッケイ新聞 2013年12月12日
サンパウロ市市議会の真相究明委員会は10日、〃JK〃の愛称で知られ、1976年に疑惑の交通事故死を遂げたとされるジュセリーノ・クビチェック元大統領(在職1956〜61年)が、暗殺であったと断定した。先日、37年ぶりの検死が話題となっていたジョアン・グラール元大統領と共に、軍政による旧民政大統領を陥れようとしていたという陰謀説を強める結果となりそうだ。11日付伯字紙が報じた。
JKは1976年8月22日、サンパウロ州のヅットラ街道をリオに向かって車で走行中、後ろから来た旅客バスに追突された車が、その後に砕石運搬トラック(カレッタ)と衝突して即死した、ということになっていた。
だが10日に、92件の証拠をまとめた30ページに及ぶ文書が発表され、これをもとに同委員会のジルベルト・ナターリ委員長が、JKは「暗殺」されたと確認した。その文書には、今回はじめて明かされた証拠や証言が含まれている。
今回の報告で注目されるのは以下の点だ。まず、JKを乗せた車はバスと衝突したとされていたが、そのときのバスの乗客9人が「衝突による衝撃を感じなかった」と証言していた。
さらに、JKの車と衝突したカレッタのすぐ後ろを走っていたトラック運転手のアデマール・ジャン氏が、JKの車の運転手だったジェラルド・リベイロ氏が、カレッタにぶつかる前に既にハンドルと扉の間に顔を埋め、意識のない状態だったことを証言した。
さらにJKの車に最初にぶつかったとされていたバスの運転手だったジョシアス・ヌーネス・オリヴェイラ氏が、2人の男性から、現金のはいった鞄と引き換えに真相を話さないように口止めされていたことを暴露した。
さらに、リベイロ氏の検死官をつとめたアントニオ・カルロス・デ・ミナス氏が、リベイロ氏の頭蓋骨に凶器で空けられたと思われる穴があったが、その頭蓋骨写真を警察から撮影するのを禁じられたと証言した。
そして、1996年8月14日に行なわれたリベイロ氏の検死で、頭蓋骨から7ミリの金属片が見つかっていたことも明らかとなった。
JKの死は、同じく76年に死去した同氏の副大統領で後に旧民政最後の大統領となったジャンゴ氏や、翌77年に死去した旧グアナバラ州(現リオ州)知事だったカルロス・ラセルダ氏の死と共に「死因が不審」として注目され、当時、米国が中心となり、ブラジルの軍事政権が、アルゼンチン、チリ、ボリビア、パラグアイ、ウルグアイの6国の軍政と共に行なっていた反共政策「コンドル作戦」の一環として殺されたのではないか、と推測されていた。
JKの元秘書だったセラフィン・ジャルジン氏によれば、JK周辺の人物は皆盗聴されており、JKが亡くなる直前の76年、JKは「自分の命は狙われている」と話していたという。JKは民政復帰後の大統領復帰を目指していたという。