麻薬常習者の集住地区が、郷土料理街に変身――? サンパウロ市中心部ルス、レプブリカ地区には、麻薬常習者の〃巣窟〃、クラコランジアと呼ばれるエリアが存在する。軍警による一斉取締り(オペラソン・セントロ・レガル)が2年前に行われたものの、麻薬常習者は後を絶たず、地域の通りに溢れたままだと言われている。だが、その場所が昨今、国外からの移民が職を変え、郷土料理を振舞う場所に変わっているようだ。
南米、アラブ、アフリカ諸国――。各国からの移住者が腕によりをかけた料理を出すレストランの一部はグルメガイドブックにも載っており、地元民だけでなく流行に敏感な若者たちの注目をも集めているという。
これらレストランの先駆け的な存在は、ペルー料理店「リコンシット・ペルアーノ」。ペルー人シェフ、エドガー・ヴィラールさん(35)のお店だ。
エドガーさんはチリのサンチアゴで文学を勉強していたが、12年前、サンパウロに移住した。大衆向け商店がひしめく3月25日通りで露店商人をし、「警察の取締りで全てを奪われた」(エドガーさん)後に、レストランを開くことを決めた。それが、3年前、レプブリカ区アウローラ通りにできた「リコンシット」の始まりだ。
小さな階段を下りたところにあるこのお店は、もしそこからペルー人やブラジル人が出入りしていなければ、誰にも気づかれないほどの控えめな佇まい。ところが一歩中に入ると、カラフルな布の飾りつけと、正面のテレビから流れる異国の映像がエキゾチックな雰囲気をかもし出している。
メインメニューはセビチェ(魚介類のマリネ)。ペルー風チャーハンともいえるアロース・チャウファ、スパイスの効いたリゾットのほか、多種の肉、卵、野菜の料理が味わえる。
この「リコンシット」の成功に倣おうと、他のペルー人移民も、同地区に出店している。その中の一つが、リオ・ブランコ大通りにあるレストラン「トラディショネス・ペルアナス」だ。また、グァイアナーゼス通りには週末、セビチェを売る出店もある。
その近く、バロン・デ・リメイラ並木通りにはアフリカ料理レストラン「Biyou‘Z」がある。カメルーン人のメラニットさん(43)が始めたお店で、祖国の郷土料理にとどまらず、周辺国コンゴ、アンゴラ、セネガル、ナイジェリアのエッセンスも入ったメニューも出す。
メラニットさんの場合、ブラジルに来たのは観光客としてだった。「ブラジルには、アフリカ料理のお店がないと気づいた。アフリカ系の子孫もたくさんいる国なんだから、ブラジル人は、先祖の国の料理も知るべきだと思ったんだ」と開店の経緯を語る。
アフリカ系の住民が多い地区だが、店に来る大半の客はブラジル人だという。メインメニューは、バナナと魚のフライをオニオンソースで味付けしたものだ。
アフリカ系住民が住む界隈から3区画ほど離れたところに、中東系住民のエリアがある。ここにはアラブ料理店「Habib Ali」がある(リオ・ブランコ大通り)。レバノン人のアーマッドさん(45)一家が経営するお店だ。人気メニューはシャワルマ(薄く延ばして焼いたパンに、焼いた鶏肉や羊の肉をスライスし、野菜やマヨネーズのような特製ソースと共に巻いて食べる庶民料理)だとか。
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移民とサンパウロ市民を繋ぐものとして食べ物が機能する、という考え方は今に始まったものではない。移民が作ったとも言えるサンパウロ市では、最も古いイタリア移民から始まりスペイン、ポルトガル、日本、中国、韓国の移民も、同じことをやってきたのだ。
この現象を、そのものずばり「民族の起業」と呼ぶ歴史家のセニア・バストスさんによれば、こういった店には最初、祖国の味を懐かしむために移民が集まる。店は、仕事や住居などあらゆる情報交換の場となるのだ。
その後、客層を広げるために地元民の口にあったメニューも出すようになる。そして、地元民が移民の祖国の文化を知る場に変わっていくというわけだ。(5日付エスタード紙より)