ニッケイ新聞 2014年1月18日
元陸軍少尉で南麻州に牧場を築いた小野田寛郎氏が16日、心不全で亡くなった(6面詳報)。日本でも次々に訃報が流れ、同氏と親しくしていたコロニアの人々も急な知らせに驚き、死を惜しんでいる。
戦後渡伯した兄の格郎さん(陸軍主計少佐)と知り合いだったことから、寛郎さんの牧場開きを手伝った南米通信社代表の尾和義三郎さん(73、東京)は「僕にとっては兄のような人。曲がったことが大嫌いで、真っ白な汚れのない紙のような人だった」と振り返る。
寛郎さんが渡伯したのは、帰還の翌年。そのことを、「日本の国からパチンコ玉のように弾きだされて、辿り着いたのがブラジルだった」と話していたという。「兵士への戦後補償も少なく、戦争体験者には住みにくい国だった」と尾和さんは語る。
昨年12月に当地を訪れた寛郎さんと町枝さん、当地の旧友と共に食事をしたのが最後になった。「絶対顔には出さなかったけど、4、50メートル歩いたら、止まって息を整えていた」。帰国後1カ月で体調を崩し入院。「4月頃にまた来たい」という願いはかなわなかった。
「歴史に残る人物と言ってもいい。日本にとって本当に惜しい人」と死を惜しんだ。
寛郎さんが渡伯した当初から付き合いのあった兵庫県人会々長の尾西貞夫さん(71、兵庫)も、「立派な人だった。これからさびしくなりますよ。毎年ブラジルに来る度、出迎えや見送りをしていたから」と語る。
面倒見の良い尾西さんを頼ることも多かったようで、人の紹介や宿の準備など、色々な便宜を計ったという。「喋るのが好きで、止むことなく喋っていた。でも、戦争のことは一度も話したことなかった。あの人はブラジルに来て良かったんだと思う」と話した。