ニッケイ新聞 2014年1月18日
小野田寛郎さんが亡くなった(本日付6、7面で詳報)。何度かあった小野田さんとの出会いを思い出した。日系団体の旅行で訪れたヴァルゼア・アレグレ移住地で小野田さんが出迎えてくれるという。「Fazenda ONODA」の看板に胸躍った。しかし会館に行っても小野田さんがまだ来ていないというので、バスは参加者らの好奇心も手伝い、自宅へと向かった▼ひどい悪路で途中から引き返した一行を迎えたのは、満面の笑みで直立不動の小野田さん。聞けば、一行が往復した道を通って今着いた、という。一本道なのに―さすがはゲリラ戦の猛者だと感服した▼読んだ伝記で一番印象に残っていたのは、29年間のジャングル生活で一番恐れたのは、住民の襲撃でも獣でもなく病気だったというエピソード。水は必ず煮沸し野菜も絶対に生では食べなかったという。昼食会での刺身やサラダを前にした健啖ぶりに恐る恐る聞いてみると、「いやあ大好きですよ!」の笑顔にしびれた▼数年後、サンパウロであった講演会の楽屋で取材したさい、少々耳の遠い小野田さんを慮って夫人の町枝さんが補足説明するのを「貴様は黙っとれ!」と一喝した姿は、亭主関白を超え、まさに軍神だった▼マレーの虎と呼ばれた山下奉文のルソン島の戦いで「敵艦見ゆ 進路北」との情報を送ったことでも知られる。終戦時に埋められたという〃山下財宝〃を守る任務を帯びていたとも。真偽のほどは定かではないが、その件に関しては、決して答えようとしなかったという。また一つ、戦時のミステリーが伝説となったことになる。(剛)