ニッケイ新聞 2014年1月28日
阪神淡路大震災19周年の前日、16日のNHKで震災後作られた「幸せ運べるように」という曲を小学生に教えようとした教師の逸話を放送していた。震災当日に小学生だったその教師に、父親は「この光景を忘れるな」と言った。教師が「どんな意図であの言葉を言ったのか」と改めて父親に問う場面が流された。多くが家族を突然失う経験をした大震災と、緊張した父親のその言葉が、幼心にも強烈な印象を残していた証拠だ▼悲しみや衝撃が大きいと、その出来事について話せるようになるのに、長い時間を要する事がある。我が家の場合、生後6週間で突然死した長男の事を、次女や次男に話せたのは死後15年以上経ってからだった。コラム子の兄の死(終戦当時2歳)の事を母親に尋ねた時、20年以上前の事を話す彼女の口が重たかった事も思い出す▼1日と3日に起きた水の事故で溺れた7歳児が相次いで亡くなった事に触れた7日付樹海では、助けたくとも助けられなかった遺族の気持ちを思って胸が詰まり、多くを書けなかった。6日はマラニョン州のバス襲撃で大火傷を負って死亡したアナ・クララちゃんにまつわる記事を読んだだけで涙し、「それでは亡くなった子供達が喜ぶはずがない」と周りからいさめられた▼昨27日はサンタカタリーナ州で起きたナイトクラブKISSの火災から1周年。自分を助けてくれた青年が他の人を助けに戻り煙に巻かれて死亡した例など、愛する家族や友人らを突然失う経験をしている人は実に多いと改めて思う。突然の別離経験者が、悲しみや苦しみを乗り越えられるよう、ひたすら祈らされるこの頃だ。(み)