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シリア内戦逃れクリチバへ=安住の場見つけた母子6人

ニッケイ新聞 2014年2月4日

パラナ州クリチバに、1カ月余り前から53歳のシリア人未亡人とその子供5人が住み始めた。シリアでは2011年から内戦が続き、13万人以上が死亡したとされているが、6人が母国を離れてクリチバに移り住むに至った経緯を、母親のカミリア・アル・ラハンさんらが語っている。

「33年かけて築いてきた家を手放し、母国を離れるのは生易しい事ではないし、誰もそんな事が起きるとは予想していなかった。でも、家族が揃って暮らせる国はブラジルだけだったから、母国を出る事を決めたの」というのは母親のカミリアさんだ。カミリアさんと一緒に暮らしているのは、32歳のモハメド・フェラスさん、31歳のアハマダさん、29歳のヨウスラさん、27歳のサアドさん、17歳のノウララーさんの5人。

アハマダさんによれば、クリチバを選んだのは安全で平穏な町だと聞いたからで、大使館で難民申請の条件なども確認した6人は、観光ビザで12月25日にブラジルに到着。その直後、難民として定住を希望する旨を訴える書類を連邦警察に提出している。

カミリアさんの夫は2008年に癌で他界しており、ブラジルに来るまでの家族は、半分がシリアの首都ダマスコ、ほかの半分は北アフリカのアルジェリアにと別々に暮らしていた。

母国の内戦と子供達と別れ住む事から来る不安や心配はカミリアさんを常にさいなみ、アルジェリア移住も考えたが、同国の状況も予断を許さない上、子供と同居する事が出来ない可能性もあったという。

カミリアさんは一時、アルジェリアにいる年上の息子達にノウララーさんを託し、教育だけでも安心して受けられるようにと考えたが、長男のモハメドさんが家族は一緒に暮らすべきだと主張。ダマスコの戦火の下を潜り抜けてきたヨウスラさんが、どうやって生き残れたのか分からないという中、家族全員が揃って暮らせる安住の地を探す作業が始まった。

ノウララーさん以外は皆大学を卒業しており、モハメドさんは耳鼻咽喉科医、アハマダさんは歯科医で、ヨウスラさんは薬剤師、サアドさんは石油関連のエンジニア。大学で教鞭もとっていたサアドさんによれば、現在の夢は母国でとった大学卒業資格が認められ、ブラジル国内で仕事に就く事で、大手製薬会社に勤めていたヨウスラさんも、再就職して母国に居た時のような生活が出来ればと望んでいる。

保証人が居らず、銀行口座も持ってないため、苦労して借りられたアパートは2寝室とやや手狭。言葉の問題や物価の高さといった問題に直面し、難民に対する特別な配慮がないとぼやく6人は、13年だけで145人、内戦開始以来の総計では300人に上るブラジル移住者のほんの一端に過ぎない。家族全員が一緒に暮らすという夢が実現した今、カミリアさん達は、ブラジルが真の安住の地となり、生活が確立できるよう、心の底から願っている。(3日付G1サイトより)