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創設90年を経て明らかに=木村快さんのアリアンサ著作=矢崎正勝(在アリアンサ)

ニッケイ新聞 2014年2月6日

昨年8月『共生の大地アリアンサ』(同時代社)と言う本が日本で出版された。著者の木村快氏のことは、日系紙を読んでおられる方はすでにご存じのことと思うが、アリアンサの研究について言うならば、日伯を通じて第一人者と位置づけても過言ではない方である。この本によってアリアンサ移住地の歴史は、創設九十年を経て初めてその全容が明らかにされたのである。

私どもの移住地ではその前年の8月、既に全村(第1、2、3アリアンサ)統合の移住地史『創設八十年』を上梓している。村の創設にまつわる前史から実態調査、開拓当初からの回顧録、古写真集等々でまとめた日本語版で、統合史としては最初で最後とも言える記念誌である。この前史の部分を執筆して下さったのも木村さんである。しかし、残念ながら誌面の都合、予算の関係から全てを書き切って頂くことは叶わなかった。

弓場や輪湖ありせば感涙に咽ぶかも

アリアンサ創設者の一人で移住地の名付け親でもある輪湖俊午郎は「本当の移民史を書けなかった」と言い残し、ユバ農場の創設者弓場勇は、日系コロニアの移民史を映画化することを夢見つつ「誰かアリアンサの歴史を、コロニアの移民史を綴ってくれる者はいないか」と、心ある人に会うごとに思いを語っていた。

その願いが長い年月を経て今叶ったのである。輪湖や弓場ありせは、感涙にむせびつつ木村さんの手を握ったに違いない。だが、木村さんは弓場勇にも出会ってはいない。何度もユバを訪ねて来られる中で、思いを汲み取って下さったのである。「祈りはいつか聞かれる」とは、弓場勇の言である。

木村さんがこれまでに行って来られた調査とは、単に外交資料や現地に残された歴史資料(これとて膨大な量ではあるが)を読み込んで知識を深めるだけではなく、アリアンサの歴史を知るためにアリアンサを訪れるように、移民の原点レジストロやガタパラ、バストスやアサイ、チエテ等々関係ある土地を全て訪ねて回り現地調査をされるのである。

米国ユタ州までに取材に

永田稠、輪湖俊午郎、北原地価造、弓場勇らの出身地はもとより、永田、輪湖の最初の渡航先、サンフランシスコやユタ州まで赴かれるのである。例え今はそこに何もなくとも、文章だけでは推し量ることの出来なかった思想の在り方や生き方を理解することが可能となると言われるのである。研究者ならばそのような調査は当然のことと思われるかもしれない。

だが、組織化されたチームで行うのではない。全て個人で行って来られたのである。本業の劇団(NPO現代座)経営を行い、脚本を書き、演出をしつつ、唯一奥さんの美智子さんの協力をのみ得てである。今回出版された『共生の大地』は、その十八年に亘る調査の集大成であり、しかも、自費出版なのである。本来ならば国が、公的組織が行うべきことを代行されたのであるから、せめて出版への援助くらいあってしかるべきだったと思うのだが。

今やブラジルの日系人は百六十万人を超えると言われ、海外における最大の移民国である。日系移民の歴史は百年を越え、ふしめ節目の記念式典には天皇陛下や皇太子ご夫妻はじめ多くの皇室の方々や政府高官達が臨席されるのである。

日本の近代史から除外されている移民史

にもかかわらず、未だに日本の近現代史には移民の歴史が記されていないと言うのである。話は少し横道にそれるが、ユバ農場を訪れる訪問者は年間数百名を超えるのだが、その3分の2がバックパッカーと言われる若者達であり、とみに増えてきたこの10年間では訪問者は優に2千名を超えている。

私は、ユバの資料室に訪ね来る彼らとよく話すのであるが、移民について知識のある者は皆無と言ってよいほどで、中高大学を通じて一度も習ったことはないという。私にしても50年前、渡航すると決まって初めて移民というものがあることを知ったのである。

そんな日本の現状を憂い憤慨し、二十年近い年月を一人コツコツと調査を重ねて来られた木村さんの努力と忍耐や推して知るべし、である。

本書はアリアンサの歴史のみならず、ユバ農場の生い立ちと生活、その生き方をも本質的な角度から分析して記してある。しかしユバなどには興味がないと言われる方でも、当時のブラジルの移民事情や日本における移民政策の実態を知るという上で、十分に読み応えのある内容であり、しかも木村さんは本来作家なので文章的にも実に読みやすく書かれているので、是非手にとって頂きたい一冊である。