ニッケイ新聞 2014年2月6日
公文ブラジル進出は、海外展開の歴史の中でも米国、台湾に続き3番目と早かった。喜多川直也・現地社長は「創始者の公文公さん(故人)は、移民を受け入れてくれたブラジルに感謝の気持ちを持っていた」と明かす。パライゾ区に構えた自社ビルは赤字覚悟の着工で、10年にインドネシアに完工するまで自社ビルは日伯の2カ国にしかなかったとか。「私たちの理念は現地の国の教育を良くすること」と同社長。創始者の思いを継ぎ、当地の教育向上に情熱をかける。
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ブラジル公文の特徴は、仕事をしながらスキルアップや大学入学を目指す社会人の割合が高いこと。数学で全体の約1割、英語は3分の1以上を社会人が占めるという。「子どもと一緒に塾なんて恥ずかしい」という見栄がなく、社会人になっても学び続けてステップアップしたいという意欲が強いとか。子どもから高齢者までが集う学びの場となっている。
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戦後有段者によって始められたサンパウロ市での合同強化練習。発起人の一人である岡野脩平によれば、「はじめた当初は、どの選手も『クラブでの練習が優先』と全然人が集まらなかった」。対策として、全伯州対抗選手権のサンパウロ州代表選手の選考形式を変更し、練習に出てくる選手のみを選考対象としたという。結果的に参加者は増えたものの、強引ともとれるやり方に「裁判を起こされたこともあった」のだとか。今にして思えば、その豪腕がなければ現在のブラジル柔道はなかったはず。いつの時代も、パイオニアは反感を食らうのだということをしみじみ実感。