メンサロン事件で実刑判決を受けたが、二重国籍者であることを活かしてイタリアに逃亡していた元ブラジル銀行マーケティング担当理事のエンリケ・ピゾラット被告が5日、イタリア北部のマラネロで逮捕された。今回の逮捕で、35年前に他界した弟に身分を偽証したなど、逃亡の手口も明らかになった。6日付伯字紙が報じている。
ピゾラット被告は「収賄」「公金横領」「マネー・ロンダリング」の罪で12年7カ月の実刑判決を受け、昨年11月15日に最高裁から刑執行を命じられた。
だが翌16日、その命令が下される2カ月前からピゾラット被告がイタリアへ逃亡していることが判明した。これを受け、同被告は国際警察に指名手配されていた。
出国を手伝った友人の証言では、ピゾラット被告はアルゼンチンに渡り、飛行機を利用してイタリアへ渡航した、ということになっていたが、捜査は難航をきわめた。それは、同被告の名義で入国した形跡がある国がなかったためだ。
だが、13年のうちにイタリア側からブラジルに対し、「(ピゾラット氏の実弟の)セウソ氏が市民権をイタリアに移す手続きをした」との連絡が入った。それを受け、セウソ氏について調査した連邦警察は、セウソ氏は1978年にパラナ州での自動車事故で死亡していたことを確認した。
そこでアルゼンチンでの出入国を確認したところ、同被告がセウソ氏の名義で出入国を行なっていたことがわかった。
ピゾラット被告がイタリア北部のマラネロに住む甥の自動車工、フェルナンド・グランド氏の家に潜伏していたことがわかったのは2月4日夜。決め手となったのは、ピゾラット被告の妻の車がマラネロで発見されたからだ。車にはスペインのマラガのナンバープレートが付いていたが、同被告は2010年、妻と共にスペインに住居を移す手続きをしていた。
イタリアの警察は5日朝、フェルナンド氏が出勤するのを待って、ピゾラット被告を逮捕した。同被告は「私はセウソだ」と偽の身分証明書を見せて逮捕を免れようとしたが、警察が素性を知っているとわかるとおとなしく連行された。
ピゾラット被告は、昨年9月11日にサンタカタリーナ州から車でアルゼンチンに渡り、12日にブエノスアイレスからスペインのバルセロナに向けて飛び立った。同被告は14日に国籍のあるイタリアに入国した。
連邦警察の調べによると、ピゾラット被告はメンサロン事件で告発を受けた3カ月後の2007年11月頃から逃亡のための文書を偽造し始め、セウソ氏の名義の身分証明書や納税者番号(CPF)、選挙人登録証、パスポート、イタリア国籍者用の書類を作成した。イタリア警察が逮捕に踏み切ったなりすまし容疑による刑期は3年で、それ以後の同容疑者の処遇は現時点では不明だ。
ピゾラット被告の逮捕後、ジョゼ・エドゥアルド・カルドーゾ法相はイタリアに対し、同被告の身柄引渡を要求したが、最高裁の見解では、ピゾラット被告がイタリア国籍を持っている以上、イタリアの刑法に従わざるを得ず、身柄引渡の可能性は低いと見ている。