ロス五輪銅メダリストのワルテル・カルモーナ(56)が発起人の1人として、サンパウロ州スポーツ局関係者を通じて1986年に「プロジェット・フトゥーロ」を立ち上げた。彼もまた石井らを中心に行われたサンパウロ市での強化練習の門下生だった。
サンパウロ市のイビラプエラ体育施設を利用し、15~18歳の優秀な選手を州内から呼び集め、特別稽古を施し、宿舎や学校、食費などの諸経費を州費で負担する画期的な奨励事業だった。
まさに柔道エリートを養成するためのプロジェクトであり、シドニーで銀、北京で銅という2つの五輪メダルを獲得したチアゴ・カミーロを筆頭に、多くの五輪選手を輩出してきた。現在も常時70~80人の若者が参加し、日々稽古に励む。
すでに運営から手を引いているカルモーナだが、「石井先生らにお世話になった分を、何かしらの形で次代の若者に還元したかった」と設立時の思いを語った。その気持ちを共有するのはカルモーナだけではない。
1992年バルセロナ五輪で65キロ級金メダルを獲得したロジェリオ・サンパイオ(45)は、郷里のサンパウロ州サントスで無料の柔道教室を開講しており、700人以上の門下生を抱える。第3回に登場したジョゼ・マリオ・トランキリーニも同様に600人以上にやはり無料で指導を授ける。
2人とも本職は別にあり、ボランティアや寄付協力を得ながらの道場運営を行っているという。その他、規模の違いこそあれ、強化練習に参加した多くの競技者たちが、現役引退後も指導者として活躍するなど、柔道の裾野の拡大において大きな役割を果たしていることは間違いなさそうだ。
何でもすぐに商売にしたがるブラジル一般の習性からすれば、実に「献身」的な思想がそこには貫かれている。
彼らは柔道において何を得て、どのような思いで後進の育成を続けるのか。共通して頻繁に聞かれたのは「しつけ」という言葉だった。日本で言う「道徳」にあたる徳育科目が公立学校の教育課程に組み込まれていないことが一般的な当地では、子どものしつけは家庭や教会の役割だ。練習を通じて我慢の精神や倫理観の醸成、ひいては人格形成にも良い影響をもたらす――それが柔道であると彼らは信じている。
事実、サンパイオも「自分は柔道を始めるまで本当に落ち着きがなく、悪さばかりしているような子どもだった」と幼少期を振返り、「メダル競争が本来の柔道の姿ではない。精神を鍛え、より正しい人間になることこそが本来の在り方」と語っている。
この考えはサンパウロ州を中心とする各地の自治体にも広く普及されつつあるという。一例を挙げれば、サンパウロ州サルトの市役所では、スポーツ局と福祉局が一緒になって、〃犯罪者予備軍〃になり得る貧困層の子弟向けに、無料の柔道教室を開講している。そこで指導者として「防犯柔道」の理念を掲げ、日々若者と汗を流すのが、渡部希一さん(74、神奈川)だ。(つづく、敬称略、酒井大二郎記者)