ニッケイ新聞 2014年2月11日
コロニアの最高齢、沖縄県名護市真喜屋出身の上地マツさんが1日午後10時過ぎ、老衰のため逝去した。享年110。97歳までゲートボールを続け、100歳を超えてもニッケイ新聞に目を通すのが日課。医者には「治すところがない」と言われる長寿者の見本のような存在だった。
孫の節子さんによれば、「去年の中ごろから新聞もあまり読まなくなって、疲れるから話もしたがらなくなっていた。今年に入ってからは、暑さでとても弱っていた」。亡くなったのは、体調を崩したマツさんを節子さん夫婦が病院に連れて行く途中の車の中だった。「私の手の中で、穏やかに亡くなった」という。
マツさん(旧姓・与那嶺)は同郷出身の夫、上地寛吉さん(故人)の呼び寄せで1925年にシカゴ丸で着伯。その後サンパウロ州カタンドゥーバ市を経て、奥ソロカバナ線アルバレス・マッシャードに移転。同地で約30年間農業に従事したが、寛吉さんが51歳の若さで死去したため、マツさんは女手ひとつで5人の子供を育て上げたという。61年にサンパウロ市のカーザ・ベルデ区へと移り、自宅で家事や孫の世話をしていた。
7日にオルト・フロレスタル墓地で葬儀が行われ、同墓地に埋葬された。親しかった沖縄県人会の与那嶺真次前会長は「110歳になっても頭は確かだった。車椅子でも元気で、ビギンのコンサート(2012年)では始めから終わりまで楽しんでいた」と振り返った。