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ヴィルジニア・ラネ死去=歌と踊りで一世を風靡=晩年のヴァルガスも魅了

ニッケイ新聞 2014年2月12日

1940~50年代に一世を風靡したダンサー、女優のヴィルジニア・ラネが10日、リオの病院で死去した。93歳だった。11日付伯字紙が報じている。

1920年にリオで生まれたヴィルジニアは劇場でのレビューのダンスに魅せられ15歳の頃からステージに立っていた。10代の頃には、後のブラジル発でハリウッド女優になったカルメン・ミランダと映画でも共演をしている。

ヴィルジニアの本領は「歌って踊れるエンターテイナー」であり、1943年にカルロス・マシャドの楽隊の専属シンガーとなり、46年にレコードの録音をはじめると流行歌手の仲間入りを果たした。

また「ラランジャ・ダ・シナ」(1940年)や「カルナヴァル・ダ・フォゴ」(1949年)のヒットで映画女優としても知られ、当時のブラジル映画界の人気者だった喜劇役者オスカリートやグランデ・オテロの相手役をつとめたこともある。

そんなヴィルジニアの全盛期は1950年代の初頭だった。1950年はリオのチラデンテス広場劇場でのレヴュー「ムイエ・マショ、シン・セニョール」が大ヒットとなり、人気を不動のものとした。このレビューは当時、ブラジル初の民主的な国民投票による選挙での大統領返り咲きを目指していたジェツリオ・ヴァルガス氏に「ブラジルのヴェデット(エンターテイナー)だ」と絶賛され、世間の注目を集めた。

この当時、ヴィルジニアとヴァルガス氏は愛人関係にもあり、その関係は51年に大統領に返り咲いたヴァルガス氏が在任中の54年にピストル自殺をするまで10年あまり続いた。ヴィルジニア自身も晩年にその事実を認めている。

また、1952年には「サッサリカンド」がヴィルジニア最大のヒット曲となり、この曲は52年のリオのカーニバルでも歌われた。また、この曲を元に作った劇「エウ・ケロ・サッサリカ」も大ヒットした。

ヴィルジニアはその後も活動を続け、86歳の2006年にはグローボ局のノヴェーラ「ベリッシマ」に出演。同ノヴェーラが30~50年代のレビュー全盛時代をテーマにした作品だったこともあり、かつての業績が再び注目された。

以後も健康に過ごしていたヴィルジニアだったが、今月に入り尿道感染を起こし入院し、多臓器不全のため亡くなった。

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