MST(農地占拠運動)の活動家ら約1万5千人が12日、大統領府と最高裁に対して起こした抗議行動が、ブラジリアの三権広場で暴動に発展、32人の負傷者が出た。13日付伯字紙が報じた。32人の負傷者のうち30人が軍警で、8人は重態。活動家1人が身柄を拘束された。
ブラジリアでは今週から第6回目の全国MST会議が開かれており、国の農地改革が停滞していることへの不満が示された。抗議行動では「1600人の農業労働者が死んだ」と書いた横断幕を掲げ、「ジウマ、農地改革はどこに行った?」などと叫んだ。主張は最高裁のメンサロン裁判、教育への投資にも及んだ。
活動家らは同日午後、マネ・ガリンシャスタジアムに集合し、官庁が立ち並ぶエスプラナーダまで約5キロの道を行進した。目的はカルヴァーリョ大統領府総務長官に抗議の手紙を渡すことで、そこには農地改革に関して政府が公約していた政策実施が果たされていないことへの不満が綴られていた。
しかし、このデモはただ「渡す」だけで終わらなかった。複数のデモ隊と警官が押し合いになって混乱が生じ、警官は催涙ガスやゴム弾で制圧にかかった。デモ隊は、行進時に持っていた木製の十字架や石、鉄片を投げるなどして反撃した。
デモ隊はその後、大統領府や最高裁の建物への侵入を図り、この混乱で最高裁審議が1時間ほど中断された。最終的にはカルヴァーリョ長官が手紙を受け取り、当時アルボラーダ宮(大統領公邸)にいたジウマ大統領と活動家との会合を13日午前9時に設定した。
MSTのリーダーの一人は「大統領に抗議をしに来た。農地改革は事実上止まったままで、昨年農地があてがわれたのは7千家族だけ。MSTの9万家族は野営している状態だ」と憤った。
MST最大のデモはカルドーゾ政権時代の97年で、10万人が集結。サンパウロ市と麻州ロンドノポリス、ミナス州ゴヴェルナドール・ヴァラダレスを出た一隊は、2カ月後の4月17日にブラジリア到着。この日は、パラー州エルドラード・ドス・カラジャスでMST活動家19人が警官との乱闘の末亡くなった事件から満1年の記念日だった。
しかし、エスタード紙によれば、この運動は30年前に発足した時ほどの力は既になく、事実上下火となっている。特に都市周縁部では農地占拠運動に人を集めることが困難で、就業率が上がり所得分配が進んでいる市もある中、占拠運動のため活動家のキャンプ地に出向く人は少なくなっているのが現状だという。今回のデモの主体も既に土地があてがわれた人々で、主張は農地改革を超えて広範囲に及んだ。
MSTは長くPT(労働者党)を支持しているが、ジウマ大統領が選挙対策として新中間層の農家への政策を重視しているため、MSTとの対話はあるが改革は遅々として進んでいない状態だ。