継承か、日本文化普及のための日本語教育か―。日系子弟の生徒が減少し、アニメなどから日本語学習をはじめる成人学習者が増加傾向にあるなか、今、コロニアの日本語教師は何を目指しているのか。日本語教師が3日間集まり、教授法から学校運営に関することまで講義を受け、意見交換をすることで研鑽を深める『教師合同研修会』(聖南西教育研究会主催、1月23日~25日開催)を取材した。
サンパウロ大学のモラレス松原礼子教授は「ブラジルの日本語教育」と題した講義では、日本語学校がたどった歴史を解説したうえで、日本語教育は〃外国語〃の段階にあることを強調した。
日本語学校が生き残るためには、「当地社会に日本の魅力を説いた教育内容で、当地社会に開かれた学校で、さらに時代に合った学校運営を意識した工夫がされるべき」と語りかけた。
戦前移民が生活をはじめた当初、開拓地には教育機関がほとんどなく、国籍を問わず移民が自ら母国語の教育機関をつくり、子弟の教育に熱心に取り組み、日本語学校は非常に重要な役割を果たした。
松原教授は、30年代の学校の様子を写真などで紹介し、女性が圧倒的に多い現在の日本語教師に比べ、その当時は背広を着た男性職員も多く存在したことなどに、複数の参加者が驚きの声をあげた。公教育が普及した後も、算数など日本語学校で行っていた教科学習が、進学先の当地の学校への橋渡しになっていた部分があり、メリットがあったという。
戦後になってからは、一般社会で成功を目指す二世世代にとって、家庭言語であった日本語の役割が低く見なされるようになり、日本語教育にとってはマイナスに働いた。69年に行われた調査で、「一般社会への統合戦略を図った日系人の90%近くが、日本語学校へは行っていなかった」という結果がそれを物語る。
80年代の日本語学校の形態を分析すると、それらが厳密には「言語の学習の場ではなかった」と松原教授はいう。58年~80年代における全伯合同教師研修の研修項目の約40%が情操教育だった。つまり、日本語学校で行われる多くの催しやその準備は、当地の公教育に欠けていた情操教育の要素を補うものだったと分析する。
研修会に参加する複数の教師から問題提起されたように、日本語教育に価値が見出されず、優先的に学ばれていない現状がある。それに対し、松原教授は「国境を越え生活をする可能性がずっと高くなった現代において、語学を学ぶことは生きていくための戦略」との見方を強調した。
日本語学校が活性化していくためには、「日本人会の意識と学習者の学習動機の差を埋めること」「日本語学校の存在意義をあらためて考えその魅力を再確認し、閉鎖的なものでなく、地域との厳密な連結をつくっていく点」などを挙げ、研修の参加者たちに考えるべきことを提示した。
さらに、日本語学習の魅力のひとつとして、言語を司る左脳と非言語を司る右脳とを刺激し、思考発達に効果的な言語であるとの見方を紹介し、日本語学習の魅力を伝えるための工夫の必要性があるのではと語った。(つづく、宮ケ迫ナンシー理沙記者)