「何度かやめようと思ったけど」――。現在も放送を続けるコロニア最古の日本語ラジオ番組『Melodias
Niponicas(懐かしの日本メロディー)でマイクに向かう橋永パウロさん(82、二世)。1971年の放送開始から、放送局の事情などで中断せざるを得ない状況を乗り越え、聴き手の声に応えて43年目。「生きているうちは続けたい」。本紙の電話取材に張りのある声で答えた。
午前8時、インターネットでチャンネルを合わせて耳を傾けると、元気なパウロさんの日本語のアナウンスが聞こえてくる。その日に誕生日を迎える人の名前が読み上げられ、「○○さん、おめでとうございます!」とリクエスト曲を流す。番組の目玉の一つ。催しものなどのお知らせは、日ポ両語で案内。年齢を感じさせない溌剌さだ。
パウロさんの両親は1928年に大分県より渡伯。自身は32年に当地で生まれた。幼年時代、ランシャリアの日本語学校で学び、55年からプレジデンテ・プルデンテに在住する。
70年代、当地文協関係者から「多くの日本人が町にいるのに日本語のラジオ番組がないのは淋しい。日本の歌が聞きたい」との声を聞き、市内の放送局を調査。妹と会社を立ち上げ、71年5月に同番組を始めた。
7年後、ラジオ局が売却されたことで移った他局が短波放送にのせたことから、パラナ、ミナス、バイーア、国外はアルゼンチン、ペルーなど、遠くは日本へもパウロさんの声は届いた。
ラジオ愛好家で『日本時間―日系社会のラジオ番組―』の著者もある平原哲也さんは、中南米の短波放送を聞くのが日課。同番組から「軍艦マーチ」が鳴り響くのを聴いて驚いたという。
「プ・プレジデンテの場所も、移民の歴史についても、恥ずかしながらほとんど知らなかった」という平原さんとは文通も始めた。
「反響がうれしくてもらった手紙は今も大事にとってある」さまざまな聴き手からの便りが、ラジオ放送を続ける原動力となっているという。
現在の放送は、マルチノポリスのAM放送〃Radio Diario(1010 kHz)〃で、午前8時~9時の時間帯。インターネットサイト(www.diario1010.com.br)から生放送で聴くことができる。
昨年12月には、プ・プルデンテで行われた懐メロカラオケ大会の音源を全て放送した。「聴き手に楽しんでもらえる企画を常に考えている」。地元コロニアに愛される番組づくり。パウロさんの奮闘は、まだまだ続く。