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ニッケイ新聞 2014年2月19日

 USP医学部出身の尾崎医師は、1974年~79年に野球クラブに所属し、ピッチャーを務めた。75年度の部長でもある。「創設当時、部員はほとんどベネズエラ人留学生で、ブラジル人は唯一日系人が一人いただけだった」とか。当時は、1930年代半ばに始まった軍事政権下で、国内で医学を学ぶことができなかったベネズエラ人学生が多くUSPに留学していたためだそう。
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 サンパウロ市ジョン・メンデス広場のサンゴンサーロ教会で3月12日に行なわれる小野田寛郎さん追悼ミサの開始時間が、午前11時に決まった。スザノ市福博村在住の大浦文雄さんは、小野田さんがルパング島で見つかった時(74年)、同村在住だった小野田さんの実兄に「モジまで大きなタイを買いに行って届けた」と懐かしそうに思い出す。「それまで『弟は戦争で死んだ』って言っていたんです」。小野田さんは実兄に誘われて当地に移住し、同教会で挙式を挙げた。大浦さんも出席して握手した時、「小野田さんは猛獣の目をしていた」と思い出す。訃報に接し、大浦さんは「彼はブラジルで死ぬべきだったと思う」と悔やんだ。なお、斉藤準一空軍総司令官ら日系軍人も敬意を表して同ミサに出席する予定。

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 水耕栽培に関して、「腰の高さで作業できるためお年寄りにも優しいし、若者も土の汚れを気にせず取り組める」と好感を持った見学者ら。ただ「停電対策に自家発電の設備など、初期投資が必須なのが問題」「雨量に依存することは、やはり不安を感じる」といった意見もあった。有機栽培の吉住さんも「あと1週間で水がきれる」と嘆いていたが、先週末の雨でだけでひとまず安心、とはいかないだろうが、最悪の事態は免れただろう。