現日本代表の主力メンバーには、ラモス瑠偉(現FC岐阜監督)に始まり、世界を目指す日本代表チームを支え続けてきたブラジル人帰化選手の名前はない――。
これについて呂比須に尋ねると、「僕はDFに闘莉王(田中マルクス闘莉王。日系三世の帰化選手)を入れた方がいいとは思っているけど」と前置きした上で、「時代は変わっている。国際経験を持った選手のレベルと数が昔とは全然違う」と感慨深げ。「僕が代表に入った頃は、世界を知る日本人はカズさん(三浦知良)くらいしかいなくて、足りない経験を補うのが帰化選手の役割だった」と当時を述懐した。
「求められる能力も変わってきた。ラモスさんの時は中盤に創造性を、僕は点取り屋としての働きを求められたけど、それ以降の三都主、闘莉王はともにDF。結果として今の日本代表に帰化選手がいないのは、日本全体のサッカーのレベルが高くなってきている証拠」。そう話す呂比須の表情は、晴れ晴れと嬉しそうだった。
「日本は戻るのではなく〃帰る〃場所。それほど日本は自分にとって特別なところ」と言い切る呂比須。「引退後にブラジルに戻ったのは、生まれた子供を親戚に会わせて、ポ語にも触れさせるため。2、3年で日本に帰るつもりだったけど、なかなか向こうでの仕事がみつからなかった」。
そんな中、12年に届いたJ1ガンバ大阪からの監督就任要請は「神様からの贈り物だと思った。本当に本当に嬉しかった」という。長期政権を築いていた前監督からのチームを引き継ぐもので、サンパウロ州選手権1部チームを指導し、経験を積んでいた呂比須にとっても大きな挑戦だった。
ところが訪日直後、日本の指導者S級ライセンスを保持していないことをJリーグから指摘され、当地でも全国選手権1部での監督経験がなかったことから特例も認められず、急きょヘッドコーチへ〃格下げ〃の憂き目にあった。代理の監督が据えられたものの、開幕5連敗を喫するなど精彩を欠き、就任2カ月で代理監督とともに更迭…。リズムを乱したチームは日本代表の主力選手を複数人抱える充実した戦力を持ちながら2部リーグへ降格した。
「日本に行くまでクラブからは何の説明もなかったし、正直凄くがっかりした。ジーコ(2002年から06年まで日本代表監督)やピクシー(ストイコビッチ、08~13年まで名古屋グランパスを率いた)は簡単に特例が認められたのに、帰化までして日本のために命を捧げた自分がどうしてダメだったのか」と語る口調には怒りより悲哀が漂う。「今でも悲しくてしょうがない。僕の心はまだ癒えていない」。日本を深く愛するが故に傷は深い。
当地ではワギネル・ロペスとして名前と共に気持ちも切り替えた。ロペス監督率いるボタフォゴRPは、昨季ブラジル全国選手権1部(セリエA)を戦ったポンチ・プレッタ、ポルトゲーザを破るなど快進撃を見せ、10試合を終えて6勝1分3敗の勝ち点19でB組の首位に立つ(2月24日時点)。全国選手権4部への挑戦権を得られるベスト8進出に向け、視界は良好だ。
監督としての目標を尋ねると「ここで結果を残して、セリエAのチームに。全国選手権、絶対優勝しますよ」と力強く語った。「クラブW杯で勝ちたい。日本の地で、優勝カップを手にできたら…、もう言うことはない」との理想の実現に向け日々奔走する。(つづく、酒井大二郎記者)