在サンパウロ日本国総領事館の査証班に2年間在職していた植田敏博領事(49、大阪)が、4月8日に任期を終えて帰国するにあたり、金融危機後に帰国支援を受け帰伯し、再訪日を希望する人たちの〃三年問題〃、「四世ビザ問題」やデカセギ目的訪日者の減少振りなどについて現状を尋ねた。
同総領事館の査証発給数は、デカセギ目的の査証発給が97年に約3万件あったのに対し、金融危機後の12年には3877件、13年2860件と10分の1以下に激減してきた。
逆に昨今は、観光や短期ビジネス目的で発給された短期滞在ビザが増加した。クラブ世界一決定戦にコリンチャンス応援団が大挙して向かった12年の1万8千件をピークに、翌13年も1万2千件と高止まりした。「欧米へのツアーに飽きた富裕層が、日本・中国・韓国に目を向けているのでは」と推測し、「短期とデカセギ査証が逆転した」と総括した。
また、金融危機後に日本政府が日系人離職者に行なった帰国支援事業を受けて戻った人が、原則3年間の再入国制限が過ぎた後も解禁されず議論となった〃三年問題〃は、昨年10月に解禁された。しかし「求められる書類を揃えるのは厳しい。解禁とは表向きで、前と変わっていない」との声が当地の派遣業社からあがっていた。
植田領事は、昨年10月以降の帰国支援受給者のビザ申請はそれほど多くないこともあり、発行数に至っては100件に満たない状況であり、「出ていることは出ている。むしろ、我々は1年の雇用契約がちゃんと守られるかを心配している」と明かした。
「四世ビザ問題」とは四世以降は一般ブラジル人と同じ扱いになる件だ。たとえ日本育ちで永住資格を持つ四世でも、再入国許可の期間を過ぎて滞伯したら喪失し、一般ブラジル人と同じ扱いになる。未成年時に三世の親に連れられて訪日した場合、成人しても「親の被扶養者」とみなされるので就労ができない。親の離婚など家族の事情で、日本で育ったにも関わらず居られなくなる事例もある。
デカセギ開始を1985年とすれば来年は30周年で、在日二、三世の高齢化は顕著となりブラジル人向け老人ホームまで検討されている。しかし、三世を支えるべき四世が日本FR就労できないために孤老化が心配されている。
四世ビザの条件緩和について植田領事は、その議論すら起きておらず、「現行法の枠組み内で当てはめられるところがないため、どうしようもない」と言う。外国人に関する現行法の枠組みは戦後、朝鮮半島出身等を想定してつくられたものが基礎で、現状にそぐわない部分が生じているが、枠組みを変えることは簡単ではないとの状況にあるようだ。
植田領事は当地赴任前、法務省入国管理局で不法滞在外国人の取り締まりに携わっており、「正直に言うと、当地赴任前は実にさまざまな外国の方に出会っていたので良い印象はなかった」と漏らす。でも「この2年間はコロニアの人たちに大変お世話になり、たくさんのことを教わった。移民政策についても考えさせられたし、日本に暮す外国人についても違った角度で見られるようになった」と感謝のコメントを寄せた。帰国後、名古屋入国管理局で罪を犯した外国人の本国移送等を審判する部署に就く。