連載小説=日本の水が飲みたい=広橋勝造=(117)
「そうですか。その人影、きっとこの車にいますよ」
「えっ! 中嶋さん、本当ですか? それ・・・、そう言われれば、私も、なにか気配を感じます。あれは霊影(れいえい)だったのでしょうか」
「冗談はよして下さい。和尚さん二人がコンビして私を驚かすなんて趣味が悪いですよ」
「冗談ではありません。確かに霊のプレゼンスを感じます。古川さん、彼は悪い霊ではないようです。安心して下さい」
「しかし・・・」
「まず、お寺に着いてから調べましょう」
お寺に着くと、黒澤和尚が飛び降りて大きな鉄格子の門を重そうに一人で開けようとした。それを見た中嶋和尚も手助けしようと車を降りた。
運転席に一人ぼっちになった古川記者は背中に寒気を感じ、変に恐ろしくなった。そして、怖いもの見たさで恐る恐る後を振り向くと、誰も居ない筈の後部座席に白い着物の美しい日本女性が座っていた。
古川記者は、
「ひぇ~」声を出さずに悲鳴を上げ、唾を飲み込んでから彼女に会釈した。
彼女は微笑み、会釈した。その微笑んだ顔は恐ろしいほど美しかった。
「古川さん!、車を中に入れて下さい」
「あっ、はい」
「霊影の件は、今夜はもう遅いですから、明日にしましょう」
「えっ、でも、彼女をどうします?」
「古川さん、彼女と云いますと?」
「彼女ですよ! この車にいる・・・、後部座席に座っていますよ」
「古川さん、その女性が見えるのですか?」
「美しい女性で、私が一礼すると、彼女が応えました。どうします?」
「彼女に明日まで待ってもらいましょう。眠くて疲れた身体では十分な霊応が出来ませんから」
一部屋を彼女に空け、三人は黒澤和尚の部屋にベッドを並べて寝た。
翌朝、昨夜の疲れと眠れなかった事で古川記者は皆に遅れて起きて来た。
本堂では黒澤和尚とその従僧となって中嶋和尚が朝の密教のお祈りをしていた。その二人の後ろに、白衣の女が座っていた。
その女の脇に古川記者が座ると、女は軽く会釈した。
「どなたですか?」古川記者は習慣づいた取材口調で女に問い掛けた。
《私は『聖正堂阿弥陀尼院』(せいしょうどうあみだにいん)と申します》
「堅苦しいお名前ですねー」
《戒名です》
「戒名? と云うと貴方は・・・ゆ、幽霊? で、本名は?」
《田口聖子と申します。下界の名を使うと未練があると思われますからなるべく戒名を使います。貴方はサンパウロ・ニッケイ新聞の古川記者ですね》
「そうです。どうして私の名を?」
《お地蔵さまに仕える方が教えて下さいました》
『お地蔵さまの部下が?』
《はい、・・・、それで、昨日、貴方達が日本に連絡された森口さんについて、お話がしたくて・・・》
『森口!?』
《実は・・・。私は、森口さんに暴力で屈辱を受け、病院でなんとか一命を取り留めましたが、真相を隠そうと入院先の病院に忍び込んできた森口さんに毒を盛られ臓器機能低下となり、看護の甲斐もなく亡くなりました》
『酷い仕打ちだ! その森口をなんとか懲らしめて・・・』
《毒を盛られた事は、私も、医者も気付いていませんでした》
『如何して知ったのですか?』
《死因に疑問が残る問題霊は成仏できないそうで、問題霊になった私を助ける為に、お地蔵さまに仕える方が真相を明かして下さいました》