あくる日、居酒屋『桃太郎』やレストラン『ポルケ・シン』に近いバンデイランテス病院の救急治療室のベッドに強い痛み止めの薬で意識朦朧のジョージが見知らぬ『観音』さまに見守られ横たわっていた。
「(大丈夫ですか?先生)」
「(胃袋の静脈が寸断されて重傷の内出血だった。輸血の後、手術の手配をしたのだが、今は出血が弱まり、回復に向かっている。もう少し奥の動脈が破裂していたら確実に死亡していただろう。この傷の原因は? カルテに記入しなくては・・・)」
「(いえ、別に原因などありません)」
「(そんな事ないだろう。どう見てもこれは暴力行為による打撲症だよ。この種の傷は二十四時間以上の入院となると傷の原因を記入しないと、彼の健康保険組合が支払に応じてくれないのだ。警察でも後で問題になるし・・・)」
「(では、二十四時間待っていただけませんか?)」
「(今日中に退院できれば・・・。無理してまでは聞かないようにしよう)」
「(ありがとうございます)」
ジョージの傷は見るみるうちに治った。入院後二十三時間経った夜の八時、ジョージは古川記者と中嶋和尚に付き添われバンデイランテス病院を後にした。
「いやー、退院早かったなー。二十四時間で治ったなんて、医者も信じられないと言っていた」
「昔から、俺には守神がいるんだ」
「その神さんがお前を嫌って、この世に置いていかれたようだな」古川記者が得意の嫌味を言ったが、ジョージは怒らなかった。
「古川、森口はどこに住んでいるんだ?」
「奴はサンダル履きだったから、この近所だと思う」
ジョージと中嶋和尚にアパートまで付き添った古川記者は、その帰りに居酒屋『桃太郎』の前を通り、二世のオーナーでアマチュア相撲のブラジルチャンピオンのタカシにちょっと挨拶に寄った。
「寒くなってきたなー、焼酎のお湯割りたのむよ」
「ジョージのケガは?」
「治った」
「大事にならず、よかったですね」
「あの男は?」
「大した怪我じゃなかったようです」
「奴の支払いは大丈夫なのか?」
「ニッケンホテルまでツケを持っていくとドル札で払います」
「奴はニッケンホテルにいるのか。ふーん、じゃ、勘定!」
「四レアル(二ドル)です」
「じゃー、おつりいいよ。おやすみ」
「おやすみなさい。気をつけて」
第二十二章 利他
深夜になって、サンパウロ特有の霧のような小雨が降り始めた。古川記者は我家に向かって人影がまばらになった東洋街を通った。最初の角を曲がると街灯が消えていた。前から、帽子を深くかぶった男が急ぎ足で近づいて来た。古川記者は一瞬『しまった』と思ったがすでに遅かった。
「(死にたくなかったら、カネを渡せ)」男は古川記者と一緒に歩くようにして拳銃を突き付けて来た。
「(強盗?)」
「(当り前だ、早くしろ!)」
古川記者は、ローランジアへの旅の途中で中嶋和尚と語り合った『般若心経』を思い出した。相手を驚かさない様に用心深く財布を出しながら、
「(どう云う動機で強盗するんだ?)」取材魂が出てしまった。
「(当り前だろう、金が欲しいからだ。早く渡せ)」
「(どうして金が欲しいんだ?)」
強盗は古川記者の手から財布を取ろうとした行為を止めて、
「(?・・・ 金が欲しいから強盗するんだ)」
「(金が欲しいのなら、強盗しなくてもいいじゃないか)」